明治期からの助産師職の発展と乳児死亡の関連 -島根県の検討-

明治期からの助産師職の発展と乳児死亡の関連
-島根県の検討-
Relation of midwives activities and infant mortality from Meiji Era
-A study of Shimane Prefecture –
宮本恭子(島根大学)
Kyoko Miyamoto(Shimane University)
[email protected]u.ac.jp
日本の乳児死亡率の低下は 1920 年代から始まった。この時期は,医療技術の果たした
役割が小さく,公的な母子保健支援体制も不十分で,かつ都市と農村のあいだの不平等が
拡大していた時期である。本研究では,この時期の農村部における乳児死亡率の転換がい
かにして可能であったか,という課題について検討した。
戦前島根県における母子保健対策を近代産婆の貢献との関連で検討することによって,
乳児死亡の動きを説明することとする。まず島根県の乳児死亡とそれに関連する指標を提
示し,全国と島根県の母子保健対策や衛生行政の対応を概観する。次に,近代産婆の役割
と実践を提示し,その貢献について検討する。役割は,資格・教育制度の変遷とその普及
状況及び「婦人方面委員制度」を提示し,実践の提示内容は,日本看護協会記念誌の回想
によるものと,島根県在住の助産師(産婆)への聞き取りからその足跡を回顧したものであ
る。
戦前島根県では,専門教育を受けた近代産婆の普及が著しく,乳児死亡率の低下は,こ
れらの近代産婆の貢献による影響が大きかったことを提示した。また,戦前島根県の近代
産婆は,近代的な衛生観念をもって分娩介助や妊産婦指導を実践するとともに,自分で取
り上げた乳児の成長を地域で見守るという乳幼児保護の実践者であったことも明らかにな
った。この近代産婆の実践によって,戦前の島根県のような農村部においても,多くの小
さな命が救われたであろうことが推察される。このように,戦前島根県の近代産婆は,医
師不在の山間地域における母子保健の推進に多大なる尽力をしたであろうことが示唆され
る。
それは,医療技術の果たした役割がかなり不十分であっても,近代産婆の技術が十分
で,かつ近代的な衛生観念や妊産婦指導,乳幼児保護の実践を農村女性,家族,地域社会
のあいだに浸透させることができさえすれば,乳幼児死亡率のある程度の改善をもたらす
ことができたことを含意しているように思われる。この近代産婆の実践は,戦時体制化で
の国策としての乳児死亡を重視した保健衛生行政と重なり合う形で展開していく。