杉 すぎ 本 もと 哲 て 郎 ろう 恋 愛 と 宗 教 御 教 え 体 験 記 - 新健康協会

醍醐桜
(岡山県)
私達は浄霊法、自然農法、芸術による
恋愛と宗教
心と体の健康を目指しています。
御 教 え
体 験 記
すぎ
もと
てつ
ろう
回顧展
浄 霊 法
はな みち
杉本哲郎
太 陽︵ 火 素・
︶水︵ 水 素・
︶土︵ 土 素の
︶ 力と愛 情で
さい ご
生誕一一〇年記念 宗教画家
自然農法
美の世界
第十六章﹁最後の花道﹂
無 料
ホームページ http://www.shinkenko.jp
653
VOL.
2011.4
︻まえがき︼
左 の 論 文 は 、明 主 様︵ 浄 霊 法 の 創 始 者 ︶が 昭 和 二 十 四 年
︵一九四九︶に発表されたものであります。
御一読頂きまして、世界平和と心身共に健全な人間作り
を目指す私達の運動を、御理解頂ければ幸せに思います。
恋愛と宗教
おん けい
恋愛についてよく質問されるが、私は左のように答える。恋愛
じ
せい
む
き
どう
そのものは神が人間に与え給うた恩恵の最大なものである。また
ち
恋愛の終局は結婚であるといわれるが、これが本当である。
えい
故に、恋愛には叡智と自省を要する。世間に多くある無軌道的
じゃ どう
恋愛のごときは邪道で、罪を構成する事になり、結局その罪の何倍
つぐな
かの苦痛によって 償 わなければならない事になる。
浄 霊
人間は病気をしたりケガ
をした時、自分で回復しよ
うとする力がありますが、
これを自然治癒力と言いま
す。浄霊は自然治癒力をよ
り高め、回復に導こうとし
て体に働きかける事が出来
ます。
浄霊は手のひらから発す
る︵目に見えない︶光のエネ
ルギーですが、人間の心や
魂が浄められ、体の方も元
気になってくるのです。浄
霊は大自然の力ですから人
間の生命力をも旺盛にして
くれます。
―1―
体験記
浄霊による個人の
体験を御紹介します
朝 食 の 用 意 も 出 来 な い の で、主
た。結 婚 後、早 起 き が 出 来 ず、
そのために胃薬を飲み続けまし
飲むようになって胃が悪くなり、
二 十 歳 頃 か ら 頭 痛 の た め 薬 を
ました。
むので病院で焼いてもらってい
ろ、口 内 に ブ ツ ブ ツ が 出 来 て 痛
眼科に通院しておりましたとこ
小 学 生 の 頃 は 目 の 充 血 の た め
していました。
とした暖かさを感じ毎日続けて
一 回 浄 霊 を 受 け る と、ふ ん わ り
聞を見て早速支部を訪ねました。
そ の よ う な 時、一 枚 の 健 康 新
した。
だ ろ う ⋮﹂と 思 う よ う に な り ま
鬱 で﹁何 の た め に 生 き て い る の
に 溜 め 息 が 出 ま し た。全 て が 憂
が増えて微笑みのない自分の顔
い ま し た。顔 色 は 黒 ず み、シ ミ
ち ら し、後 で 申 し 訳 な く 思 っ て
ります。
然農法で家庭菜園を楽しんでお
地 獄 と 天 国 の 違 い で す。今 は 自
す。入会前と入会後を比べると、
楽しさを満喫させて頂いていま
許 も 取 れ て、全 て の 面 で 人 生 の
な り ま し た。諦 め て い た 車 の 免
い、頭 痛 も 今 に な っ て は 昔 話 に
若 い 頃 か ら 悩 み 苦 し ん だ 車 酔
しております。
を受けられる喜びを心から感謝
なりました。
一 時 は 何 の た め に 生 き て い る
明 主 様、誠 に 有 難 う ご ざ い ま
のか⋮と思った時もありました
が 増 え、顔 の 黒 み、シ ミ も 取 れ
した。厚く御礼を申し上げます。
受 け て い る う ち、一 週 間 経 っ た
て 明 る い 表 情 に 変 わ り ま し た。
︵熊本県菊池郡︶
頃には睡眠時間も少しずつ短く
た め 昼 間 か ら 眠 く、一 日 十 二 時
こ の 時、私 は 初 め て 爽 快 な 気 分
人には大変申し訳ない思いで一
間 の 睡 眠 を と っ て い ま し た。い
と 幸 せ を 感 じ ま し た。一 ヵ 月 後
杯 で し た。二 人 の 子 供 を 授 か っ
つ も 微 熱 が 出 る の で、氷 枕 と 体
の 昭 和 五 十 四 年 七 月 四 日 に、入
が、心 身 共 に 蘇 ら せ て 頂 き ま し
温計は常に離せない大切な物で
会 し ま し た。そ の 後、二 人 の 息
て す む よ う に な り、胃 の 具 合 も
し た。胃 の 透 視、胃 薬、食 事 療
子 も 入 会 し、家 で は お 互 い に 浄
た 後 も、病 院 か ら 頭 痛 薬 を も
法をしているうち胃下垂になり、
霊 が 出 来 て、薬 と は 縁 の 無 い 安
て、お か げ 様 で ま す ま す 元 気 に
十キロほど痩せて頭痛薬も効か
心した日々を過ごせるようにな
良 く な り 食 事 が 美 味 し く、体 重
な く な り、尿 の 出 も 悪 く 腎 孟 炎
り ま し た。長 年 出 来 な か っ た 早
ら っ て 飲 ん で い ま し た が、そ の
の 治 療 を す る う ち、慢 性 腎 孟 炎
︶
に な り、抗 生 物 質 を 飲 み 続 け ま
起 き、朝 食 の 支 度 も 軽 々 と 出 来
やよい
し た。神 経 過 敏 が ひ ど く な り、
なん り
私 は 小 さ い 頃 か ら よ く カ ゼ を
る よ う に な り、家 族 揃 っ て 浄 霊
南里 弥生︵
63
イライラするので長男に当たり
熊本支部
つらい憂鬱な生活から
喜びと感謝の日々へ!
心身を健康に導く方法です。
引 き、そ の た び に 薬 を 飲 ん で 治
―2―
浄霊とは、
光のエネルギーで
病気の恐れや不安が
一掃され解放される!
て行ったりしました。
く な ら な い 時 は、お 祓 い に 連 れ
としていました。
不安がいつも家庭に暗い影を落
で し た。そ の 上、病 気 に 対 す る
の子供はカゼをひき熱が出まし
浄 霊 を 試 し 始 め て す ぐ、二 人
ました。
た が、以 前 と 同 じ よ う な カ ゼ な
の に 子 供 達 の 気 分 は 良 く、苦 し
む時間も短くなった事が分かっ
書 き 換 え た ほ ど で、西 洋 医、漢
き 込 み が 多 く、カ ー ド を 九 枚 も
長 男 の 時 は 保 険 の カ ー ド の 書
い か 途 方 に 暮 れ て い る 時、妻 の
の は な く、ま さ に ど う し た ら 良
け ま し た が、大 き く 変 わ っ た も
を か け、色 ん な 健 康 法 を 探 し 続
以 前 私 達 は 多 く の 時 間 と お 金
自分で駐車場まで歩く事が出来
回 浄 霊 を 受 け た 後、帰 る 時 に は
連 れ て 行 き ま し た。と こ ろ が 二
彼を背負い支部へ浄霊を受けに
歩く気力さえなくなってしまい、
あ る 日、長 男 は 嘔 吐 と 下 痢 で
たのです。
方 医、民 間 療 法、神 仏 祈 願 や 占
元 同 僚 の 謝 淑 貞 さ ん が 新 し い健
浄霊を体験する⋮
全てがうまく行かない中
次 男 は 小 さ い 頃 か ら 虚 弱 で 恐
が り で、食 欲 も 無 く、う ま く 育
つ の だ ろ う か と 心 配 で し た。私
達は一週間に三回は子供を病院
いなど色んな事を試しましたが、
ま し た。浄 霊 を 受 け 始 め て か ら
歩 け な く な る 事 も 無 く、中 学 生
け で 夜 中 ま で 激 し く 泣 い た り、
ま た、日 頃 葬 式 場 の 前 を 通 る だ
漢 方 医 に か か っ た り し ま し た。
び 降 り た だ け で 歩 け な く な り、
ま し た。あ る 時 は ベ ッ ド か ら 飛
足股関節を何度も脱臼しており
者 に か か っ て い ま し た、ま た 右
舌で表せるものではありません
員 の 体 が 悪 く、不 安 や 心 配 は 筆
も 大 変 な の に、我 が 家 は 四 人 全
一家に一人の病人でも体や心労
か っ た り、四 十 肩 な ど で し た。
炎 や ジ ン マ シ ン、呼 吸 が し に く
手 足 の 冷 え、車 酔 い ⋮。私 は 鼻
が む 事 も ま ま な ら ず、偏 頭 痛、
妻は帝王切開出産後、長くしゃ
の期間この方法を試す事に決め
達 は、半 信 半 疑 な が ら あ る 程 度
し何の効果も得られなかった私
話 を 聞 き、今 ま で 多 く の 事 を 試
と 話 し て 下 さ い ま し た。先 生 の
に浄霊の原理などについて色々
行 き ま し た。支 部 長 さ ん は 私 達
のまま高雄支部へ浄霊の体験に
よ う に な り、今 度 中 学 生 に な り
は大きな御飯茶椀で二杯食べる
べ る 事 が 大 変 好 き に な り、時 に
受 け つ け な か っ た の が、今 は 食
以前は母親の準備した食べ物も
後、食欲がだんだんと出てきて、
てから幾度かのカゼ熱を体験した
次男は、浄霊を受けるようになっ
―3―
へ連れて行っていました。
子 供 の 体 は 良 く な ら ず、長 く 薬
康法﹁浄霊﹂を紹介してくれたの
は激しい運動をしても脱臼して
になると学校のバスケット部に
シェ スー ゼン
を飲んでいるため食欲もますま
です。彼女が言うには﹁むやみに
薬 に 頼 る 必 要 の 無 い、本 当 の 健
入部するまでになりました。
ツェン イン シェン
す 無 く な り、体 は 更 に 痩 せ 衰 え
康を得られる方法です﹂と。
小さくひ弱で食欲のあまりない
︶
ま し た。色 ん な 食 欲 促 進 剤 や 健
我 々 は 一 九 九 九 年 の あ る 日、 陳 頴賢︵
私 の 二 人 の 子 供 は 小 さ い 頃 か
康 食 品 を 与 え ま し た が、全 く 効
二人の子供を連れて不安な気持
台湾・高雄支部
ら 体 が 弱 く 病 気 が ち で、長 男 は
果は出ませんでした。
更に高熱が出て薬を与えても良
ま で 熱 が 引 か ず、必 ず 急 診 で 医
よ く カ ゼ で 発 熱 を 起 こ し、夜 中
43 陳 頴賢さん
(下段右端)
と御家族
頂き、浄霊を体験していくた
霊によりだんだんと良くして
私と妻の体も同じように浄
あ る 私 な ん だ も の ⋮﹂と 静 か に
や っ て、頭 に も た く さ ん 毒 素 が
し た し、手 術 も 大 な り 小 な り
ん の 問 題 が あ り、色 々 な 治 療 を
し た。そ れ は﹁婦 人 科 に た く さ
して出血があるかを考えてみま
恐 怖 心 に 襲 わ れ ま し た が、ど う
と い う 言 葉 が 頭 に 残 っ て い て、
医者に行って診てもらいなさい﹂
る な ん て 普 通 じ ゃ な い わ。す ぐ
僚 が よ く 言 っ て い た﹁出 血 が あ
た。以 前、子 宮 ガ ン で あ っ た 同
れ で 私 は 良 く な っ た ん だ!﹂と
かたまりが出てから八日後、﹁こ
が出る事はなく体調も良くなり、
た の で す。そ れ か ら も お り も の
出ていたおりものが出なくなっ
血 も 止 ま り、あ れ だ け た く さ ん
で し た。す る と、そ の 日 か ら 出
直径四センチくらいのかたまり
よ う な 気 が し て 見 て み ま す と、
イ レ に 行 っ た 後、何 か が 落 ち た
一 九 九 七 年 一 月 二 十 六 日、ト
るようになりました。
げで気持ち良く一日を始められ
ましたが、身長も大きく壮健
びにそのすごい力を見せつけ
考 え、浄 霊 を お 願 い し よ う と 思
心 の 底 か ら 思 い ま し た。そ の 時
は全く違う体になりました。
家族全員、健康で元気
喜びで楽しい毎日!
充満していた病気に対するお
れる方に、この新しい健康法
ように苦しんだり困っておら
私達の望みは、私達と同じ
謝しています。
に御縁を頂いた事を本当に感
囲気の毎日です。私達は浄霊
そ し て 同 年 六 月、下 腹 部 に 自 分
し出血があるようになりました。
が始まったわけでもないのに少
一 九 九 六 年 五 月 頃 よ り、生 理
くなり楽になりました。
か ら、今 で は ほ と ん ど 痛 み は な
痛 持 ち で し た が、浄 霊 を 受 け て
私 は 一 九 九 一 年 二 月 か ら 偏 頭
気︵浄化︶が始まって以来、毎朝
の に 臭 い も し て き ま し た が、病
一 九 九 七 年 一 月 中 旬、お り も
ポリープが気になっていました。
りものは多くなってきましたし、
が 楽 に な り ま し た。し か し、お
説明して下さいましたので気持
に我が事として考えて下さって、
を 支 部 長 さ ん 達 に 話 す と、親 切
も の が 多 く な り ま し た。そ の 事
ます。
明 主 様、心 か ら 感 謝 申 し 上 げ
験を通して信じています。
も 浄 霊 で 楽 に な る 事 を、私 は 体
後 に、小 さ な 病 気 も 大 き な 病 気
様 の 御 力 だ け だ と 思 い ま す。最
こ の 奇 跡 を 実 現 出 来 た の は 神
した。
に心から御礼を申し上げる事で
せ ん。最 初 に し た の は、明 主 様
―4―
になり、以前のひ弱な状態と
られました。我々家族皆浄霊
いました。
の私の喜びは言うまでもありま
かたまりが出てから 体調が良くなる!
で健康を得られ、今や家中に
日 が 経 つ に つ れ、出 血 や お り
を体験して頂きたいのです。
の 手 で 触 っ て も 分 か る よ う な、
︵
びえや不安などの心配は一掃
きっと私達と同じように健康
起きる前に十五分間自分で浄霊
︶
と幸せになれると信じていま
かなり大きなポリープ︵約八セン
を 受 け る よ う に な り、そ の お か
フランス・パリ支部
ラルモン・ドゥニーズ︵
す。
チくらい︶がある事が分かりまし
︶
Paris FRANCE
︵中華民国台湾省高雄市︶
され、家中が喜びで楽しい雰
61
安心・安全
自然農法とは土を尊び、土を愛し、土の力を
最大限に発揮させて作物を収穫する農法です。
―5―
美味しい
薄田さんご夫妻
自然農法
すすき だ
ら畑を借りて、本格的に野菜作りを始める事
にしました。カワニナの生息するきれいな山
水がふんだんに流れて、夏でも水が涸れない
畑
︵元々は水田で、五年ほど耕作放棄していた
所一・五反︶が見つかりました。
しかし耕してみると石ころだらけで、耕耘
機ははね上がったり、歯が折れたりと大変で
した。また、山の一番上なので雨風が里の十倍くらい強く、
台風の時は、何度も支柱を立て直しました。そのため草取り
や虫取りに手が回らず、カボチャと大豆は雑草の中に埋もれ
てしまい、収穫が出来ませんでした。トマトも赤く熟す頃に
カラスに食べられてしまいました。そんな中でキュウリだけ
は収穫出来、皆さんに販売し、喜んで頂きました。販売所を
見つけ、経営者の方に実際に食べて頂きましたが、
﹁野菜を
味見して下さい、と持って来られたのは
初めてです﹂
﹁本当に無農薬・無肥料でも
トゲのあるきれいなキュウリが出来るん
で す ね。ぜ ひ 食 べ さ せ て 頂 き ま す﹂と
言って頂きました。
これからも私達夫婦の姿勢と出来た野
菜を見て頂いて、自然農法の素晴しさ、
有難さをお伝えして行きたいと思います。
新健康協会総本部・自然農法普及会事務局
Eメール:[email protected]:092-661-1531(代)
太陽︵火素︶
・水︵水素︶
・土︵土素︶の力と愛情で
早岐支部 薄 田 恵子 ( )
私達家族は明主様の教え通りに野菜を作りたいと思い、平
成二十年一月に広島より佐世保に引っ越してきました。畑仕
事は初めてなので、先ず庭の畑︵十二坪︶で実験してみる事に
しました。その畑は埋め立て地のために粘土質で水はけが悪
く、石ころだらけでした。主人が一メートルほど深く掘っ
て、粘土質の土を取り去り、石ころを取り除きました。その
後、石を取り除いた粘土質の土に自然堆肥を少量入れ、混ぜ
合わせて畑にしました。キュウリ、トマト、ピーマンの苗を
植え、朝起きたら土に向かって﹁おはよう、今日も力を貸し
て下さいね﹂とお願いし、野菜達には﹁おはよう、美味しい
実をつけてね。いつも有難う﹂ 皆「さんが美味しいと喜んで
下さっているよ﹂と感謝の心で声かけをし
ま し た。す る と 二 本 の 苗 か ら キ ュ ウ
リ一七五本を収穫する事が出来ま
し た。土 作 り を し、愛 情 を か け
る 事、声 か け を す る 事 で、野 菜
達がそれに答えてくれ、予想以
上に収穫出来た事に涙が出るほ
ど感動しました。そこで昨年か
57
二十四点、それに妻の急死で夫婦
協力でいち早く世界十大宗教壁画
なっていました。しかし協会側の
でした。哲郎を推した梅原猛はそ
美、洋画家の吉村 勲 と哲郎の五人
美術史の 源 豊宗、
小説の瀬戸内晴
大変ですが、能楽の金剛 巌 、日本
文化人の多い京都ではこの選考は
ぶっ きょう が
生誕一一〇年記念
二人を描き入れた知恩院の﹁釈迦
の理由に﹁世界に例のない十大宗
が
ざ
らく
宗教画家 杉本哲郎 回顧展
かみ がみ
ふすま え
しょう りん よ こう
てん かん
ほう りん じ
よ ほう へん
みなもと とよ むね
よし むら いさお
お
せ
そと
き
と うち はる
八相曼陀羅﹂
、最後の作品法輪寺の
教壁画の評価とともに、世間の毀
げん りゅう
しゅう きょう へき
こん ごう いわお
襖 絵﹁ 少 林余光﹂など三十四点の
誉褒貶︵ほめたりけなしたり︶を外
せき
えん つい ほう
のう がく
代表作品が展観されました。哲郎
に真の芸術家として孤高の道を選
きょう い
ふ ばつ
すぎ もと てつ ろう
は長男の夫人が押す車イスに身を
び世に正当な評価を受けてこな
美 の世界
預け、会場の作品を深い感慨で一
かった﹂というものでした。この
とみ おか
も鉄斎先生に近づけた﹂と喜んだ
てい しつ ぎ げい
の次の言葉は会場に溢れる人々に
のであります。 が こう
てっ さい
強 い 感 動 を 与 え ま し た。
﹁杉 本 画
じっ かい
み
の六十五年﹂と銘打ち、
﹁世界十大
点一点見つめていました。
受賞を知らされた時、哲郎は尊敬
しゃ か
日 本 画 の 源 流 は 仏 教 画 に あ る
宗教壁画﹂の中から中心作品とな
胸の中は言葉に言えぬ思いが駆
してきた京都出身の大画家、富岡
あい さつ
代壁画を世界に初めて発表した画
伯の作品は宗教性を持つ画家の少
いん
家﹂と 華 々 し く 記 事 を 送 り ま し
うめ はら たけし
ち おん いん
こと。その根本はインドの古代仏
園追放﹂の完成作二点と﹁モーゼの
る﹁神々の座ヒマラヤ﹂を始め﹁楽
け巡ったのでしょう。哲郎は沈黙
鉄斎が八十二歳で初めて帝室技芸
ら
教 遺跡の 宗 教 壁画にある︱この
十戒﹂など画稿五点が初公開され、
しがちでした。この日出席者を代
員に選ばれたことを思い﹁ああ私
はな みち
不抜の信念から自らの一生を宗教
観客の長蛇の列が続く盛況ぶり
表して挨拶した当時京都市立芸術
ご
美術にかけた哲郎の芸術に、よう
で、レセプションには文化庁長官、
大学長、梅原 猛 ︵文化勲章受章︶
さい
やく世間の正しい認識と注目が開
国立博物館長も出席し、在京の英
宗教画家杉本哲郎の大展覧会開催
た。続 い て 五 年 後 の 昭 和 五 十 九
ない我が国で、極めて異色の存在
こ こう
はっ そう まん だ
きました。八十歳になって日本の
字新聞が海外に﹁インドの幻の古
第十六章﹁最後の花道﹂
新聞界を二分する朝日新聞と毎日
に動き出したのです。宗教画とい
年、毎日新聞社は京都近鉄百貨店
であります。しかもありふれた宗
年5月
日︶
亀 田 正 雄
年1月8日より平成
たような静 寂 とそれを破る拍手
福岡市東区唐原六丁目七︲一 〇九二︲六六一︲一五三五
―6―
こ だい ぶっ
新聞が、我が国を代表する孤高の
う地道な世界に加え、徹底して日
で﹁画業七十年記念世界十大宗教
教画でなく、独自の人間解釈で描
あふ
本の画壇に背を向けてわが道を生
壁画展﹂として、すでに完成された
に抜きん出ており世界にも例がな
かれ現在の日本画壇の水準を遙か
晴 明 会 館 顧 問
美 術 評 論 家
き抜いた哲郎にあまりにも遅すぎ
全作品を初めて公開しました。
︵平成
晴明会館
解説
た評価でした。しかし哲郎はこれ
前に述べたように世界でも例を
はる
が我が生涯最後の春と、心から喜
う
来、すでに全作品は福岡市唐原の
で包まれました。この展覧会のす
ホームページ :http://www.seimeikaikan.jp
ぬ
せ かい じゅう だい しゅうきょう へき が
びました。それはぎりぎりまで制
い 巨 大 さ を 持 つ も の で す﹂
。会 場
たからです。
同協会で管理され、新しい美術館
ぐ後で哲郎は京都市の文化功労者
はく しゅ
展覧会は先ず朝日新聞社が昭和
︵現晴明会館︶のこけら落しを記念
ぶん か こう ろう しゃ
五十四年大阪そごう百貨店、翌年
だ きゅう
に選ばれました。キラ星のように
お
に初めて世に公開されることに
せい じゃく
25
東京小田 急 百貨店で﹁宗教画孤高
いっ しゅん みず
見ない﹁世界十大宗教壁画﹂は哲郎
はこの絶賛の辞に、一 瞬 水を打っ
じ
作を続ける﹁世界 十 大 宗 教 壁画﹂
と新健康協会の間で話し合いが出
ぜっ さん
のライフワークを初めて世に出せ
23
﹁ 生誕一一〇年記念
開催中
宗教画家杉本哲郎 回顧展﹂
23
支部ならびに出張所一覧表
東村山市栄町一ー八ー二
品川区東五反田三ー一五ー一七
盛岡市西仙北二ー五ー六
旭川市新富一条三ー一一ー一〇
札幌市中央区南一四条西一三ー二ー四五
札幌市清田区清田一条三ー三ー二九
帯広市西一五条南二ー四ー一〇
日高郡新ひだか町静内本町三ー三ー二三
︵〇四二︶三九一ー六二二〇
︵〇三︶五四二四ー九〇〇一
︵〇一九︶六三六ー二七一八
︵〇一六六︶二五ー四九六二
︵〇一一︶五六一ー七八三九
︵〇一一︶八八六ー二二八二
︵〇一五五︶三六ー四八二三
︵〇一四六︶四三ー三八八七
さいた ま 市 大 宮 区 土 手 町 三 ー 八 ー 一 加 藤 ビ ル マ ン シ ョ ン 二 〇 二
︵〇四八︶六四四ー五七〇七
︵〇七二︶六七六ー一六二三
︵〇六︶六八四一ー〇〇五六
︵〇七二︶九二四ー六五七三
︵〇七二︶二五五ー二七五五
︵〇四三︶二八五ー三九五八
高槻市城北町一ー三ー二三
豊中市原田元町一ー二二ー一〇
八尾市渋川町四ー一〇ー五
堺市北区東雲東町四ー二ー一一
︵〇七八︶七五一ー二六三〇
千葉市稲毛区園生町九八九ー一〇
神戸市垂水区山手四ー四ー一七
︵〇八六︶二七五ー六五〇〇
︵〇四五︶三六一ー七七三八
岡山市中区高島新屋敷五一五ー一三
︵〇八四︶九四五ー〇四一五
︵〇八二︶二七二ー二七七六
横浜市旭区笹野台三ー五三ー三
福山市引野町五ー八ー二六
広島市西区庚午中四ー八ー三
︵〇八三四︶六四ー五七六〇
︵〇八三二︶三二ー四六九八
︵〇五二︶八〇五ー二四一一
周南市福川二ー二ー一九
下関市伊崎二ー五ー二〇
︵〇八八︶六三三ー四七八一
日進市梅森台一ー一三三
徳島市名東町一ー一〇九
︵〇八九七︶五五ー三五二七
︵〇八九︶九二四ー〇七二六
︵〇七四四︶四三ー八四〇〇
︵〇七四二︶四七ー九三五六
西条市大町五七〇ー三
松山市山越一ー二ー四五
︵〇九三︶五一二ー七五六七
︵〇九三︶九二一ー一七六四
︵〇九三︶七五一ー一六二二
︵〇九三︶六一三ー〇四六五
︵〇九三︶二二三ー〇九〇一
︵〇九四〇︶三二ー一一〇八
︵〇九四〇︶四三ー五八三一
桜井市粟殿朝日町一五ー五
奈良市西大寺野神町二ー三ー七
北九州市小倉北区大田町八ー一
北九州市小倉北区片野一ー七ー七
北九州市若松区白山一ー九ー四四
北九州市八幡西区春日台二ー四ー四
遠賀郡芦屋町正門町一二ー一一
宗像市自由ヶ丘三ー二ー七
福津市中央六ー二一ー一六
福 岡
直 方 支 部 直方市大字頓野三八五六ー三
香 椎 支 部 福岡市東区松香台一ー二二ー三二
篠 栗 支 部 糟屋郡篠栗町大字津波黒六二六
粕 屋 連 絡 所 糟屋郡粕屋町仲原一七六ー二
田 川 支 部 田川市大字伊田三八七九ー一
飯 塚 支 部 飯塚市片島二ー一八ー一〇
志 免 支 部 糟屋郡志免町志免三ー一一ー二
福 岡 支 部 福岡市中央区谷二ー一六ー二五
南 福 岡 支 部 福岡市南区平和一ー四ー一
西 福 岡 支 部 福岡市早良区原一ー二七ー一七
嘉 麻 支 部 嘉麻市中益八六九
白 木 原 支 部 大野城市白木原二ー三ー五
久 留 米 支 部 久留米市国分町一四六一
高 田 支 部 みやま市高田町竹飯二一四〇
瀬 高 出 張 所 みやま市瀬高町小川一七三一ー二
大 牟 田 支 部 大牟田市鳥塚町七ー五
大 分
宇 佐 支 部 宇佐市大字岩崎字月原一一八六ー三
大 分 支 部 大分市日岡一ー九ー一六ー一
日 田 出 張 所 日田市田島町六九八ー一
佐 賀
唐 津 支 部 唐津市大名小路二ー二二ー二
鳥 栖 支 部 鳥栖市東町三ー九二二ー一三
伊 万 里 支 部 伊万里市南波多町井手野三八四七
伊万里出張所 伊万里市二里町八谷搦
佐 賀 支 部 佐賀市天神二ー三ー二八
武 雄 支 部 武雄市武雄町大字昭和三〇九ー三
鹿 島 支 部 鹿島市大字納富分甲二一九ー一
長 崎
平 戸 支 部 平戸市木引町字榎三八四ー二
佐 々 支 部 北松浦郡佐々町八口免六三三
佐 世 保 支 部 佐世保市万徳町六ー二六
早 岐 支 部 佐世保市広田一ー三九ー二一
川 棚 支 部 東彼杵郡川棚町百津郷三三二ー一二
諫 早 支 部 諫早市山川町二〇ー五
長 崎 支 部 長崎市緑町一三ー一一
熊 本
山 鹿 支 部 山鹿市熊入町九七八
荒 尾 支 部 荒尾市西原町三ー一ー二六
熊 本 支 部 熊本市新大江三ー七ー二二
八 代 出 張 所 八代市西宮町一〇三八
芦 北 支 部 葦北郡芦北町大字芦北二〇五八ー七
本 渡 連 絡 所 天草市本渡町本渡二一八四 谷口方
宮 崎
宮 崎 支 部 宮崎市花ヶ島町南赤江町二一〇八ー七
鹿児島
阿久根連絡所 阿久根市西目九七四ー四
鹿 児 島 支 部 鹿児島市小野二ー九ー一三
総 本 部 福岡市東区唐原六丁目七ー一︵〇九二︶六六一 ー一五三一︵代︶
北海道
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東 京
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大宮連絡所
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岡 山
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徳 島 支 部
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松 山 支 部
福 岡
小 倉 支 部
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若 松 支 部
西八幡支部
芦 屋 支 部
宗 像 支 部
福 津 支 部
︵〇九四九︶二六ー五五一六
︵〇 九 二︶六 八 一 ー 一 五 〇 九
︵〇九二︶九四七ー一一九三
︵〇九二︶九四七ー一一九三
︵〇九四七︶四二ー五〇五一
︵〇九四八︶二二ー四九一八
︵〇九二︶九三五ー一〇五一
︵〇九二︶七八一ー五〇六七
︵〇九二︶五二二ー三二二〇
︵〇九二︶八五一ー七三〇二
︵〇九四八︶五七ー二〇五六
︵〇九二︶五八一ー四九八二
︵〇九四二︶二二ー四七七三
︵〇九四四︶六七ー二五一五
︵〇九四四︶六二ー二四一六
︵〇九四四︶五三ー三一七九
︵〇九七八︶三七ー三一六六
︵〇九七︶五五六ー六四三六
︵〇九七三︶二四ー七二九三
︵〇九五五︶七二ー五七五六
︵〇九四二︶八二ー一六二〇
︵〇九五五︶二四ー二〇二一
︵〇九五五︶二二ー四四六三
︵〇九五二︶二三ー八〇六三
︵〇九五四︶二三ー五七九二
︵〇九五四︶六二ー四七四九
︵〇九五〇︶二三ー三六三九
︵〇九五六︶六二ー四七〇五
︵〇九五六︶二二ー二〇四六
︵〇九五六︶二〇ー五〇七七
︵〇九五六︶八二ー二二八四
︵〇九五七︶二五ー一八五七
︵〇九五︶八四六ー四二七三
︵〇九六八︶四三ー三一七〇
︵〇九六八︶六二ー三四一八
︵〇九六︶三八三ー四九一八
︵〇九六五︶三一ー〇四六七
︵〇九六六︶八二ー二八〇一
︵〇九六九︶二二ー五六九〇
︵〇九八五︶二三ー六三一一
︵〇九九六︶七二ー三四六六
︵〇九九︶二二九ー六八〇一
謹んで震災の
お見舞いを
申し上げます
この度の地震や津波で被災
された皆さまに心よりお見
舞い申し上げます。
一 日 も 早 い 復 旧 と、
皆様の
新健康協会
ご健康を心からお祈り申し
上げます。
︵月刊︶ 毎月一日発行
発行所・発行人
新 健 康 協 会
〒八一三ー〇〇〇一
福岡市東区唐原六丁目七番一号
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〇九二ー六六一ー一五三一︵代︶
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