事例6 老舗のDNA 復古調手拭は町家から <株式会社 エイラクヤ

第2章
コラボレーション
京都には、伝統的な文化・伝統的な産業が脈々と受け継がれている。
企業が新たな事業展開に打って出るための重要なファクターの一つとして、「他との融合(コ
ラボレート)による新たな価値の創出」が挙げられるが、このコラボレーションにも様々なパタ
ーンが考えられる。
特にこの章では、伝統という要素とのコラボレーションにより、新たな取組・展開を行ってい
る3社を紹介する。
<事例6>
老舗のDNA
復古調手拭は町家から
株式会社 エイラクヤ(永楽屋細辻伊兵衛商店)
<事例7>
縮小化市場の生き残り術
株式会社 京
<事例8>
鐘
日本女性を美しく見せる和のデザインの展開
有限会社 ジャパンスタイルシステム
■事例6
老舗のDNA
復古調手拭は町家から
株式会社 エイラクヤ
永楽屋細辻伊兵衛商店
(花街のおもてなし)
「なんや、変わった店やなぁ。何の店やろ」
「おもしろそうやないの、入ってみーひん」
そんな会話が、永楽屋祇園店の前で繰り広げられている。
ここは、祇園、四条通に面し、知る人ぞ知る古いバー「酒肆元禄」
の東隣にさりげなく、かつ異彩を放って営業している。祇園は日本
一の花街、ほんまもんを愛する人が集い、昼間も人の波は途切れることを知らない。
玄関の桃太郎のロゴが人々を店に吸い寄せていく。描かれた犬がおいでおいでとしているよう
に。店は、かつてハイカラの象徴であった歴史ある喫茶店をそのまま使い、右手に大正モダンの
薫りの漂う螺旋(らせん)階段が鎮座している。店内は、とても明るく、数々の復古調手拭(て
ぬぐ)いが額に飾られ、様々な手拭いや、綿バッグ、綿製小物が空間美を保ちながら、それぞれ
きっちりと自己主張しながら並んでいる。1階が売場、2階がギャラリーとなっており、軽快で
甘い響きのジャズを演じているような躍動感が
店内に溢(あふ)れている。ここは、ビヨンド
マニュアルの空間、スタッフは見事に花街の息
づかいを身につけ、全身から程良いオーラを発
して、顧客をさりげなくかつ暖かく迎えている。
陳列された手拭いは、どこかなつかしく郷愁
をそそる図案である。省略の美とも言える象徴
化されたものであり、控えめなカラーコーデイ
ネイトであるが、人々の感性の奥深いところで
何かを共鳴させ、満身で仕事を楽しんでいるスタッフに導かれ、ひとつ、またひとつと売れてい
く。
ここには、花街のおもてなしと単なるデザインを超えたサムシングがある、躍動感がある。そ
んなはんなりとした空気がみなぎるブティックである。
(老舗(しにせ)に飛び込んだ、大変だった)
細辻社長は約400年続く永楽屋の十四代当主である。ファッショナブルなスーツに身を包んだ
若者で、一見「老舗のぼんぼんか」と感じるが、どうして、彼が口を開くと流れるように話し、
それが実に魅力的でシニカルな連中の多いビジネス界でさえも、着実に協力者を作っていってい
る。その会話の魅力は、虚飾がなく、とても筋肉質であり、さらりと語った言葉が妙に含蓄が多
く、聞いた者は帰ってから事の重大性に気づき、感心するのである。
彼は、スポーツマンで、高校を卒業後、スポーツ枠で豊田工機株式会社に入社。しかし、余り
に大企業であったため仕事に面白みを見つけ出せなかったため、もともと好きであったアパレル
業界に飛び込んだ。全部で5人のとても小さな会社であったが、好きなファッションの世界であ
ったため水を得た魚となり、24歳の時には独立して店
を任せられるようになった。その後、永楽屋十二代の
娘さんと交際されることとなり、「うち、タオル売って
いるのだけれど、あなた、やってくれるかしら」と彼
女から持ちかけられた。平成4年、タオルもファッシ
ョンの一種だから、同じようなものだろうとこの老舗
に気軽に飛び込んだわけと彼は語る。
ここからが彼の苦難の歴史が始まるわけであるが、
煮え湯を飲むような苦労も彼の話では軽いゲームのタ
ッチであり、サッカー観戦のような心地よい興奮に惹(ひ)き込まれる。
当社は、戦後、タオルの卸を始め、昭和50年ごろまでは順調に成長していたが、業界の中で中
堅の位置であったため、その後訪れた海外有名ブランドライセンス生産のトレンドに乗れなかっ
た。タオル業界は、最大手を残し、それ以外は整理されるという厳しい局面に立たされたわけで
あるが、老舗ゆえのしがらみからか、抜本策を取れぬまま、含み資産に頼る経営で20年の月日が
虚(むな)しく経過した。
そういう状況のもと、彼が当社に入った。だれもさぼっているわけじゃないけれど、赤字体質
が染みついていて、駄目でしたねと。
その後の奮闘も虚しく、収益の源となる目玉商品を見つけることもできず、当社は債務超過に
追い込まれることとなった。そんな中で平成11年、十四代を襲名した。いわば、満身創痍(そう
い)の船出である。
社長に就任前に、先祖伝来の家屋敷の売却を行った。この売却により、当社のバランスシート
が軽くなり、新規事業に取り組む余裕が生まれたと言えよう。
社長として、また婿養子としての立場で400年にも及ぶ名家の家屋敷を売却するということが
どれほど困難で厳しい決断であるか想像するに難くない。しかし、それを、さらっと彼は言って
のけ、聞く人はさぞかし大変であっただろうと感じ、彼の理解者として育っていくのである。
また、従業員の削減や不良在庫の整理は、実際にやろうとすると、社内全員を敵に回す場合も
しばしばであるがそのまま放置すると、ガン細胞と同じく、企業全体の生命を蝕(むしば)んで
しまう。彼はこれを敢(あ)えて断行した。
彼の話し方は、多弁かつ流暢(りゅうちょう)で、流れるようである。そのひとつひとつの言
葉に無駄がなく、説得力がある。すべて汗をかいた実体験に基づく内容で、無駄な形容詞や人名
など無駄が一切ない。いわばスポーツで鍛えた筋肉質の会話である。それだけに説得力があり、
ひとつひとつの言葉に含蓄も多いので、時間はかかるが、少しずつ理解してくれる人が増えてく
るのである。
(生き抜く力・老舗のDNA)
リストラや計数管理を徹底している経営者の中には、本来、商売人として勝負すべきところで
あたかも敵前逃亡して、大いなる機会損失をしている場合が多い。遅い時間帯のスーパーなどで
は、顧客の利便を図るため、折角(せっかく)営業時間延長しても、生鮮品の廃棄ロスを恐れる
余り、買う物がない状態がよく見られる。これは、経営学に頼りすぎるサラリーマン経営の悪(あ)
しき見本である。しかし、十四代当主としては、厳しい体質改善の中でも、新しい収益源を見つ
けだすことに取り組むことを忘れていなかった。
400年も続く老舗には、無数の有形無形の資産があるものであるが、有形の資産の大半を失っ
た時点で、昔の手拭いの図案に目が行ったと言うのは、経営者として実地で身につけてきたファ
ッションについての動物的嗅覚(きゅうかく)とともに老舗のしぶとい生き抜く力を持ったDN
Aとでも言えよう。
彼が、当社に入って、長い暗中模索から初めての光が見えた瞬間と言えよう。いわば、歴史が
変わった、その時である。
(アヴァンギャルドはコラボレーションから)
明治から昭和初期の手拭いの再現に活
路を見出(いだ)したが、まず、入り口
の染色という段階でつまずいた。当時の
染色は高度なスキルを有した職人の手間
を惜しみなく投入しており、これを現在
で行う場合は、最先端の設備と技術を持
った工場でないと再現できないことが判
明した。つてを頼って、全国を行脚し、
技術を持った会社を当たったが、この10
年室町の問屋に吹く風はとても冷たく、
信用問題でなかなか請けてもらえなかっ
た。
厳しい局面であったが、ねばり強く説得を続け、協力を得ることができた。これも、彼の持ち
込むデザインが秀逸であったこと、経営建て直しという修羅場を潜り、決して飾らないが説得力
のある熱弁がひとつ試しに請けてみよ
う か と 世 界 が 広 が っ て いっ た の であ
る。
こ う し て で き あ が っ た復 古 調 手拭
を、平成12年4月、本社の一角に直売
コーナーを設け 、「京三条町家手拭」
を売り出した。しかし、最初は全然売
れなかったと彼は言う。小売には自信
があっての新規事業であったが、いかんせん室町通は問屋街、一般の消費者の通行は少ない。そ
こで彼は賭(かけ)に出た。
室町通の人通りはいくら、それに比べて四条河原町の人通りはいくら。手拭いが売れないのは、
商品はいいが知って貰(もら)っていないからだとマーケット調査と仮説を立てて、平成14年2
月、四条通に進出した。6坪の小さな店である。当然、賃料は高いが面積が小さいためやってい
ける、思い切ってやろうとゴーサインを出したのであった。
ブレークした。
道行く人は、斬新(ざんしん)なデザインに引き寄せられて、次々に買っていったのであった。
それから、平成14年12月、祇園店をオープンさせた。歯車は好転しだした。
「よーあんなええとこに店取れたなぁ」とよく言われるとのこと。1店として空き店舗のない
一等地ゾーン、望んで入居できるものではない。不動産業界に理解者を作っていたことが大きな
成功要因である。不動産業者は、賃料はもちろんであるが、それ以上に自らの投資財のイメージ
や価値を上げてくれるテナントを切望している。「あいつにやらせたら面白いんちゃう」それが
すべてであろう。
(夢は大きく)
現在、手拭いの販売は、本店、祇園店、四条店、寺町店、インターネット通販と5店であり、
すべてで黒字を出している。消費者からのビビッドな反応を大切にするため、直売と国内での製
造にこだわっている。
彼は言う。「職人って、日本では苦労しているってイメージあるでしょ。そんなんあかんので
す。贅沢(ぜいたく)するぐらい儲けてもらわなあかんのです」
商品をプロデュースする者の義務として、高値で売れるモノを開発し、職人には精度や品質の
限界は求めるけれど、過剰なコストダウン要請はするべきではない。「発注する側がええ服着て
いったりしたら腹立つでしょ」支払うべきものはちゃんと支払うことによりいい仕事ができると。
「フランスのブランドバッグ、同じもの日本で作ったらもっと高くなります。作れないです、す
ごいです」
現在、手拭いそのものから、綿布を使った企画商品群の充実を図っている。贈答品ではなく、
自分で使うものとして貰(もら)えるよう商品開発を行っている。不況になって、真っ先に切り
つめるものが贈答品であるが、自分で使う物は意外と減らないと分析している。そのため、高級
であるが実用品であるヨーロッパ高級ブランド品のように、きっちりとした商品開発を続けたい
と考えている。
当社は、確固たるブランドとして認められるためアイデアを出し続け、広く周知されるよう挑
戦を続けている。ただ、やみくもに数字を追うことをせず、直売にこだわっている。
京都(洛)からの発信すると意味を込め、名付けたRAAK[ラーク]という新しいブランド
も立ち上げ、このブランドは市場の反応を見ながら、慎重かつ大胆に東京や大阪での販売を進め
ていきたいとしている。
ホームページ通販での売上げは、まだ、全体の1/30程度であるが、季節の移ろいと手拭いを京
の風物詩としてのコンテンツにまとめ上げている。何だろうと見る者を引き込み、これが実際の
色合いを見てみたいとの欲求を惹起(じゃっき)して、直営店への来店を増やしているとも言え
る。コンテンツは、動画を含む技術的な仕上げ以外は社内での智恵の出し合いで練り上げている。
幹部候補生の面接も行い、新しい歴史を築くための布石は着々と打っている。
永楽屋細辻伊兵衛商店は、芽生えを迎え、次の飛翔(ひしょう)へと駆けめぐっている。着実
な成功事例を積み重ね、室町ファッション街のリーディングカンパニーとなることを願うもので
ある。
株式会社 エイラクヤ
永楽屋細辻伊兵衛商店
代表者
細辻 聡和
(十四代細辻伊兵衛)
所在地
〒 604-8174
京都市中京区室町通
三 条 上 ル 役 行 者 町 368
本 店 正 面
資本金
26,000,000円
従業員
30名
創
業
1615年 ご ろ
設
立
昭 和 34年
TEL
075-256-7881
FAX
075-256-7885
e-mail
info@eirakuya.jp
URL
http://www.eirakuya.jp/