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11/5/2013
2013 年度・特殊講義
キリスト思想の新しい展開──自然・環境・経済・聖書(1)──
S. Ashina
<前回>:後期オリエンテーション
後期:自然神学の新しい可能性
1.言語・解釈学から聖書へ
1-1:リクール
1-2:マクフェイグ
1-3:リューサー
11/12
2.聖書学の諸動向
2-1:イエス研究とクロッサン
12/3, 10
2-2:パウロ研究から 12/17
3.聖書学から政治思想へ
3-1:聖書と政治思想 1/7
3-2:アガンベン 1/14
3-3:ジジェク
Exkurs
・アガペーとエロス
・脳科学からキリスト教思想へ 11/19, 26
1/21
<前提> Exkurs アガペーとエロース
(1)はじめに
1.キリスト教とは何か。キリスト教研究にとってもっとも基本的な問い。
2.アガペーとエロースという問題連関においてこの問いへ接近。この問題連関の背後に
あるのは、19 世紀後半に普及し現在も広く受け入れられている「ヘレニズムとヘブライ
ズム」という問題設定。
(2)ニーグレンのモチーフ研究
3.ニーグレン(A.T.S.Nygren, 1890-1978)『アガペーとエロース』。
4.二つの問題。
・「愛」をめぐり新約聖書とギリシャ思想とを対比すること(第一部)、二つの根本的モ
チーフ(Fundamental Motifs)としてのアガペーとエロースの比較研究。
・二つのモチーフの総合(Synthesis)と再形成(Reformation)という視点からキリスト教思想
史を解釈すること(第二部)。
5.ルンド学派の「モチーフ研究」(Motif-research)の方法論。
6.ハルナックの「ギリシャ化」論の乗り越え。
7.神学的な根本的モチーフ:キリスト教の諸教説において多様な言語表現(用語、観
念)が与えられるが、それによって、諸教説を「キリスト教的」なものとして性格づ
け統一する働きを有するもの。キリスト教とは何かに対する一つの解答の仕方。
10.「問いと答え」という思考構造。神学的な根本的モチーフとは、「根本的と呼ばれる
に足るだけの深さと幅をもっている問いに、あるタイプの見方によって与えられる答え」
(I.12)。
キリスト教の根本的モチーフ:人間が直面する諸問題に対するキリスト教の多様な答え
の核心を表現したもの。 → 人間学的考察。 cf. ティリッヒの相関の方法
根本的モチーフが答えようとするのは、「真・美・善、なかんづく永遠について問わ
れている重要な根本的な問題」。プラトンらのギリシャ哲学が追求したもの。「人類は、
今でもこれらの同じ重要な問題にかかずらっている」のであり、文明とは、「これらの問
題をば特徴づけて、これらの問題を決定して、これらを発言しようとする、不断の新たな
努力」(ibid.)。
11.根本的モチーフ:人間存在の根本的な問いに対する答えであるが、特定の命題的に表
現された答えであるにとどまらず、むしろそれを生み出す生の在り方(特定の立場)。
↓
キリスト教が一つの固有の宗教的生として存立するためには、人間が直面する問いにキ
リスト教的立場から応答し、それによってキリスト教の諸現象を「キリスト教」としてま
-1-
とめあげるもの、その意味での根本的モチーフが成立することが必要。
12.「アガペーの観念はキリスト教の一つの根本観念であるばかりでなく、すぐれてその
根本観念である」 (I.17)という結論。
13.アガペー・モチーフとモチーフとしてエロース・モチーフ。→キリスト教思想史のダ
イナミズムを叙述。
14.アガペーとエロースの両根本的モチーフの異質性・対立性。
15.アガペーとエロースの「根本的な、全面的な対立」(I.185)から、両者の単なる分離
は帰結しない。これら二つのモチーフが「双方とも同一の問いに答えようと努めている」
ことに、つまり、「人間の神に対する関係のもつ問いに答える」(ibid.)という人間存在の
特性に、共通の人間学的前提を有する。
17.二つのモチーフの結合(combining)と区別(distinguishing)といういわば両極の間に生じ
る動態・傾向としてキリスト教史。この歴史的結合は総合を目指し、総合は解体しアガペ
ー・モチーフの再形成=復興にいたる。
19.問題:ヘブライズムとヘレニズムの関係とアガペーとエロースの関係との間のずれ、
あるいはヘブライズムの理解の不明瞭さ、そして歴史的思想史的観点と原理的人間学的観
点との不均衡。
↓
・キリスト教の成立に先立って、「ユダヤ教の知恵文学」(I.206)などにおいてユダヤ教の
ヘレニズム化が進展していた。
23.キリスト教は、一方、ユダヤ教とは決定的に異なる新しい道であり、ニーグレンは、
これをアガペー・モチーフとして表現している。しかし他方、キリスト教は、ニーグレン
の言うノモス・モチーフを通してユダヤ教との連続性を保持している。
↓
ニーグレンのモチーフ研究:
アガペーとエロースの二つの根本的モチーフの図式から、アガペー、エロース、ノモ
スの三つの根本的モチーフの図式へと修正。
↓
「旧約聖書のノモス・モチーフ」、「ギリシャ的エロース・モチーフ」、「新約聖書のアガ
ペー・モチーフ」の三者のいずれが優位を占めるかに応じて、キリスト教の愛の観念につ
いての三つの主要類型が設定。
(3)思想史研究から人間学あるいは存在論へ
27.ニーグレン、波多野の共通見解:アウグスティヌスのカリタスをアガペーとエロース
の総合として、アガペーとの相違において理解。
28.波多野宗教哲学:宗教本質論を中心に、宗教類型論と宗教の哲学的人間学の三つの学
科によって構成。ニーグレンの行うモチーフ研究は、波多野の言うこの類型論に相当する。
根本的モチーフとして愛を位置づける点でも、ニーグレンと波多野は一致。
29.哲学的人間学:哲学的人間学はモチーフ研究の基礎論の一端を担っており、波多野宗
教哲学はニーグレンの継承にとどまらず、その理論的哲学的深化である。
30.哲学的人間学:人間存在を現象学的記述→人間存在の時間構造(過去・現在・将来)
→時間構造に基づいた人間的生(自然的生と文化的生)の解明。
35.波多野の生の現象学と人間存在の時間論は、ニーグレンの根本的モチーフの議論の展
開。「愛は主体の他者との生の共同」(1943、148)であり、主体と他者との関係性は、愛
の類型においてこそ明瞭な形をとる。文化的生における他者との関係性は、ニーグレンが
描いたエロースのあり方に合致し、宗教的生において象徴を介して回復される他者中心の
関係性はアガペーとして示されたモチーフにほかならない。
-2-
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キリスト思想の新しい展開──自然・環境・経済・聖書(1)──
S. Ashina
実際、波多野は、文化的生と宗教的生をエロースとアガペーとして類型化し、両者の相違
を鮮やかに論じている。
36.二つの愛は相互に区別するだけで済むほど単純ではない。アガペーがそのようなもの
として受容されるには、エロースが前提とされねばならない。
38.自然的生、文化的生、宗教という生の諸類型と、それに対応づけられるエピチュミア、
エロース、アガペーという愛の諸類型とは、いわゆる段階論的な階層性として理解するの
は適切ではない。それは類型と言うよりも生の要素あるいは質というべきもの。諸類型を
構成するモチーフとは、「問いと答え」の構造を有する人間存在の要素・質と解すること
が適切。
39.ティリッヒの愛の存在論:愛を生を動かす力、疎外に陥った生の再結合である。
「愛の存在論は、愛は一つであるという基本主張をせざるをえなくなる」(Tillich, 1954,
597)、「もし愛がそのすべての形態において、分離から再統合へと駆り立てるものである
とすれば、愛が本性において一つでありながらさまざまな性質をもつということが理解可
能になる」(ibid.)。
(4)むすび
42.「アガペーとエロース」問題:キリスト教思想史から存在論にまで及ぶ問題連関を包
括。愛が徳として、つまり実践的な事柄として問われねばならない。
1)共同体論・正義論。2)環境論。3)心の理論・脳科学。
4.言語・解釈学から聖書へ
1-2:マクフェイグ
A.メタファー論
(0)聖書からの具体例(ヨハネ 6:22 ~ 59)
1.イエスは言われた。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来るものは決して飢
えることがなく、わたしを信じるものは決して渇くことがない。
ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、
イエスのことでつぶやき始め、・・・
42 こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知って
いる。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることがで
きるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。
「実にひどい話だ。だれが、こ
んな話を聞いていられようか。」
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
2.
「イエス=命のパン」:字義通りの意味で理解すると、
「人々」と同じ疑問を生じざる
を得ない → 解釈の葛藤による意味の生成
(1)言語の諸レベルにおける隠喩の位置
3.語-文-テキスト→ 語の記号論/ 文の意味論/ テキストの解釈学(リクール)
隠喩は文のレベルの言語現象である。テキストのレベルへ議論を拡張する。
4.経験-隠喩的象徴的言語(物語)-概念(体系・形而上学)
(2)旧修辞学から新しい隠喩論へ
1)伝統的隠喩論とその問題性
5.古い隠喩論
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(1)隠喩は比喩、すなわち命名に関わる。
(2) 隠喩は言葉の字義的意味からの逸脱による命名の延長である。
(3)隠喩のこの逸脱の理由は類似である。
(4)類似の機能は同じ場所で使用可能であるような言葉の字義的意味から借用された言
葉の比喩的意味を代用することを根拠付けることである。
(5) 代用された意味はいかなる意味論的な革新も含まない、それゆえ、我々は、代用さ
れた比喩的意味に対する字義的言葉を回復することによって、隠喩を翻訳することが
できる。
(6)隠喩は革新を認めないのであるから、それは単なる言述の装飾にすぎない。したが
って、言述の情動的機能として範疇化することができる。
6.新しい隠喩論は、隠喩を言葉のレベルにおける意味の逸脱としてではなく、文のレベ
ルにおいて可能になる隠喩表現をめぐる複数の解釈の葛藤(相互作用)から可能になる
新しい意味論的な革新の問題として捉える試みである。とくに、隠喩との関わりで伝統
的に持ち出されるいわゆる「字義的意味」(literal meaning)という考えは、本質的な問
題を含んでいる。
2)新しい隠喩論の試み
7.レイコフ:「隠喩は詩人だけでのものではない。それは日常言語に内在し、生、死、
時といった抽象概念を把握するための主要な方法なのである」(レイコフ、1994、62)。
とくに科学言語における隠喩論が示すように、隠喩は科学における発見の論理に属して
いる。
「源泉領域から目標領域への写像」(「人生=旅」「神=父」「時間=お金」)
8.隠喩は、優れて現実の認知・認識(思想と経験の方法・あり方)に関わる問題であり、
人間の日常的現実性の中心に位置するのである。
9.リクール:隠喩はそれを使用することによって目標領域のそれまで十分に認知されて
いなかった構造が顕わにするという機能を有するのであり、それは隠喩の発見的機能に
関わる問題である。
10.「私は命のパンである」:イエスについてのヨセフの息子(肉体と持った人間)とパ
ンという意味の多義性ではなく、イエスをについての二つの解釈・見方の衝突による意
味のよじれと、それによって引き起こされる永遠の命をめぐるイエスの出来事について
の新しい意味の生成である。こうして、パンとイエスの間に写像が構成され、イエスに
ついての一連の認知が可能になるのである。
(3)隠喩の指示の二重性と実在の開示
11.隠喩の指示(Reference/Bedeutung)。隠喩的表現と特徴づけられた宗教言語が、指示を
持ちうるのか、あるいはその指示対象とはいかなる実在性を有するのか、という問いは、
神学的実在論の最重要問題に他ならない。たとえば、イエスの「神の国の譬え」。
言語の指示とは、記号体系外部とその記号との関係。つまり、指示において問題とな
るのは、記号が自己完結的な存在ではなく、その外部を有すること。
12.宗教言語、とくにその隠喩的表現とは?
・指示対象がいわば存在しない、あるいはその存在は重要ではない、という主張。
構造主義、あるいは詩的機能=自己指示性(ヤコブソン)
ブルトマンの非神話論化:実在への指示から実存的決断の呼びかけへ
神話・世界観
信仰・主体性
13.隠喩における指示の二重性(リクール)
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2013 年度・特殊講義
キリスト思想の新しい展開──自然・環境・経済・聖書(1)──
S. Ashina
隠喩論:隠喩の意味と指示
文・言明・判断・解釈のレベルの言語現象
字義的な解釈と新しい別の解釈との葛藤・相互作用
→ 意味のよじれ、新しい意味の生成
→ 第一度の指示の中断
→ 第二度の指示の生成
→ 隠喩・テキストが開示する世界・実在(テキスト世界)
新しい世界内的な存在の可能性・経験の拡張
17.第二度の指示の指示対象:実在の日常的イメージの模倣ではなく、実在の新しい解釈
・見方の開示であり、前方へと投影され再構成された実在。「神の国」の現実性とは。
・ブルトマン学派における「言葉の出来事」
18.人間の日常性事態が隠喩的構造を有するとすれば、虚構と現実の二分法も廃棄されね
ばならなくなる。では、真理の基準とは何か。歴史に対する文学の優位(アリストテレ
ス)。
<まとめ>
・隠喩(レトリック)は、認知の問題である。
自己と世界(との相関性)、そして超越的なもの。
・隠喩は、発見に関わる。新しい隠喩の試みとその成功と失敗。
言語共同体とそこにおける受容。
・隠喩の意味と指示。文のレベルでの意味の緊張 → 第一度の指示の中断と第二度の指
示の生成(世界の開示)
隠喩の最初の発見・類似の発見 → 隠喩表現の伝達・類似の発見 → 隠喩の受容
・隠喩(類似関係)─換喩(metonymy、現実世界での隣接関係、空間と時間)
─提喩(synecdoche、意味世界での包含関係、類と種)
↓
これから、人間の基本的な認知構造に関わっているが、特定の宗教を特徴付ける特定
の認知構造は存在するか?
ヘブライズムとヘレニズムは、換喩と隠喩の対比と重なるか。ハンデルマン。
・宗教的現実・実在(神の国)とはいかなるものか。
言葉の出来事(Sprachereignis, Wortgeschehen)→正典・霊感とは何か。動的霊感説。
B.フェミニスト神学の基礎論としてのモデル理論
<隠喩・モデル>
1.言語世界/心的世界/実在世界(日常性・生活世界など)/宗教言語の指示世界
における隠喩、モデルの位置づけ。
経験/隠喩/概念:
記号/意味/指示:
語/隠喩/テキスト:言語の諸階層1→連辞
隠喩/モデル:言語の諸階層2→範列
↓
・syntagm(連辞)<metaphor-narrative>→パロール→諸要素の結合規則とその構造
線的、連鎖的な言述順序。テキストは全体として連辞と見なされる。連辞内の諸要
素が、前後の諸要素との関係でそれぞれの価値を獲得する。
・paradigm(範列)<metaphor-model>→ラング
-5-
特定の構造によって特徴付けられた体系内の他の諸要素との関係。テキストはこの
体系に属する諸要素の部分的な表出。所与の体系に所属する諸要素の集積が範列。
Daniel Patte, What is Structural Exegesis ? , Philadelphia, 1976.
2.モデル:隠喩を構成要素として成立する上位の構造体。隠喩から構成されるの範列的
秩序。モデルは、根底的隠喩(root metaphor)を核として、その周りに類似した隠喩を結
合している。一定の隠喩表現を核としてその回りに構成された隣接する隠喩群・隠喩群の
ネットワーク。
(1)「神のモデル」とは何か?
3.Ricoeur, Biblical interpretation (85)
model: scientific language, heuristic device/ instrument of re-description
three sorts of models:
scale models (materially resemble, model boat) / analogical models (structual identities,
diagram) / theoretical models
constructing an imaginary object more accessible to description, seeing things otherwise ,we
perceive new connection in things, as a lens for seeing the other, isomorphism between the model
and a domain of application , which grounds the analogical transfer of vocabulary, metaphor
cf: Lakoff
4.Max Black, Models and Metaphors. studies in language and philosophy, New York,1962.
5.Sallie McFague, Models of God. Theology for an Ecological, Nuclear Age, Fortress, 1987.
The essence of metaphorical theology is precisely the refusal to identify human constructions
with divine reality. …… To say that God is mother is not to identify God with mother, but to
understand God in light of some of the characteristics associated with mothering. … … God is/is
not mother, or yet again God as mother. …… the constructive character of metaphor is
self-evident. …… All language about God is human construction and as such perforce "misses
the mark". (22)
The differences between a metaphor and a model can for our purpose be simply stated: a model
is a metaphor with "staying power". A model is a metaphor that has gained sufficient stability
and scope so as to present a pattern for relatively comprehensive and coherent explanation.
(34)
6.Tillich: Systematic Theology vol.1 1951
The symbols "life," "spirit," "power," "love," "grace," etc., as applied to God in devotional life
are elements of the two symbols of a person-to-person relationship with God, namely, God as
Lord and God as Father. Other symbols which have this ego-thou character are represented by
these two. Symbols like "King," "Judge," or the "Highest" belong to the symbolic sphere of God
as Lord; symbols like "Creator," "Helper," "Savior," belong to the symbolic sphere of God as
Father. There is no conflict between these two symbols or symbolic spheres.
They cannot be separated.
The Lord who is not the Father is demonic; the Father who is not the Lord is sentimental.
Theology has erred in both directions.
God as Lord and the related symbols express the holy power of God.
the unapproachable majesty of God , the infinite distance between him and the creature,
his eternal glory,
"Lord" is a symbol for God's governing of the whole of reality according to the inner telos
of creation, the ultimate fulfilment of the creature
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2013 年度・特殊講義
キリスト思想の新しい展開──自然・環境・経済・聖書(1)──
S. Ashina
"Father" is the symbol for God in so far as he justifies man through grace and accepts
him although he is unacceptable. sustaining creativity, directing creativity, holy love
as the creative ground of being, of man's being the unity (286f.)
7.root metaphors: Philip Wheelwright, Metaphor and Reality, Indiana University Press, 1968.
(2)モデルの複数性と相補性
8.モデルの特性として
①モデルの複数性(まず現象学的に確認・記述され、次に理論的に<存在論的に>相互
に位置づけられ関連づけられる)
②モデルの複数性→神経験の複数性
モデル・レベルの非排他性・相補性(多様性の承認)と概念レベルの排他性
cf: 人格と非人格(ヒック)
③キリスト教の伝統的な「神のモデル」の複数性と基本的性格(男性モデル)
9.ティリッヒ:神経験の現象学 (Dynamics of Faith) / 神学体系の規範(Norm):
↓
モデルは、伝統において機能する。伝統形成的機能。
The norms of systematic theology which have been effective in church history did not exclude
each other in content; they excluded each other in emphasis. (49)
10.McFague:
The dominance of the patriarchal model excluded the emergence of other models to express the
relationship between God and the world.
we must ask whether the Judeo-Christian tradition's triumphalist imaginary for the relationship
between God and the world is helpful or harmful. (ix)
this is the claim I would make: that a construction of the Christian faith in the context of a
holistic vision and nuclear threat is from our particular perspective and for our particular time
relatively better than constructions that ignore these issues.…… in continuity with the basic
Christian paradigm as well as being as appropriate construction of that faith for our time. to think
in metaphors and models that support a unified, interdependent understanding of God-world and
human-world relationships; and finally, one characterized by the recognition that although all
constructive thought is metaphorical and hence necessarily risky, partial, and uncertain, implying
an end to dogmatism and absolutism, it is not thereby fantasy, illusion, or play. (27)
metaphorical theology is pluralistic, welcoming many models of God.
no metaphors or models can be reified, petrified, or expanded so as to exclude all others.
hypothetical, tentative,partial,open ended, skeptical, and heuristic tolerant of pluralistic (39)
My answer is twofold. First, although this particular essay will focus on God as mother in order
to balance and provide a new context for interpreting God as father, other divine activities will
also be imaged in female form, especially those concerned with creation and justice. Second,
although mothering is a female activity, it is not feminine; Our tradition has thoroughly analyzed
the paternal metaphor, albeit mainly in a patriarchal context. The goal of my work will be to
investigate the potential of the maternal model but to do so in a fashion that will provide an
alternative interpretive context for the paternal model -- a parental one. (100)
cf: Rosemary Radford Ruether, Sexism and God-Talk. Toward a Feminist Theology, Boston,
1983.
11.Jürgen Moltmann, Der Geist des Lebens. Eine ganzheitliche Pneumatologie, München, 1991.
-7-
(3)「神のモデル」の選択・適切性の基準
12.ティリッヒの「相関の方法」:
「状況-メッセージ」「問い-答え」(コミュニケーション・フィールド)
現在と過去・伝統の両極
↓
状況適合性と自己同一性という二つの課題:
①その時代の宗教的問いに適合したものであること
②また同時にキリスト教の伝統との連続性を満たし得るものであること
↓
モデルの適切性の基準
現代の歴史的思想的状況にふさわしいキリスト教的モデルとは何か。
エコ・フェミニズム(マクフェイグ、リューサー)
(4):現代神学の状況と「神のモデル」の選択
13.McFague
The question we must ask is not whether one is true and the other false, but which one is a
better portrait of Christian faith for our day. (xiii)
The Monarchical Model: God as Lord and King of the Universe/Omnipotence/Sovereignty
This imaginative picture is prevalent in mainstream Christianity
a pattern of "asymmetrical dualism" between God and the world
The model's anthropocentrism (63)
metaphor or model: not description, as-if fashion about the God-world relationship,
Since both metaphors are inadequate, we have to ask which one is better in our time, and to
qualify it with other metaphors and models. (70)
14.<状況> → 現代の要求する新しい感受性(the new sensibility) (16)
A Holistic View of Reality/Responsibility for nuclear knowledge/
consciousness of the constructive character of all human activities)
15.<聖書・伝統との連続性>
キリスト教神学の源泉:「イエスの物語」(the story of Jesus)
16.a destabilizing, inclusive, nonhierarchical vision
17.a pattern of orientation, disorientation,and reorientation
18.Tillich, Systematic Theology. vol.3, 1963.
(5)解釈から倫理へ
19.Ricoeur (d)
they say more than any rational theology. (243)
We are first disoriented before being reoriented. (244)
To listen to the Parables of Jesus, it seems to me, is to let one's imagination be opened to the
new possibilities disclosed by the extravagance of these short dramas. If we look at the Parables
as at a word addressed to our imagination rather than to our will, we shall not be tempted to
reduce them to mere didactic devices, to moralizing allegories. We will let their poetic power
display itself within us.
And it is in the heart of our imagination that we let the Event happen, before we may convert
our heart and tighten our will. (245)
↓
-8-
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2013 年度・特殊講義
キリスト思想の新しい展開──自然・環境・経済・聖書(1)──
S. Ashina
想像力・構想力(出来事)から倫理へ。宗教哲学の可能性。
構想力とは人間存在の全体性の基礎をなす。
カント、ハイデッガー、ティリッヒ、波多野、リクール、
マクフェイグ、シュヴァイカー。
20.McFague
To say that God is present in the world as mother, lover, and friend of the last and least in all
creation is to characterize the Christian gospel as radical, surprising love.
these metaphors be allowed to try their chance at representing for our time the creating, saving,
and sustaining activities of God in relation to the world and that, together, the three metaphors of
God as parent, lover, and friend form a "trinity" expressing God's impartial, reuniting, and
reciprocal love to the world.
God as parent is on the side of life as such. Life is not something alien to God but as god's bidy
(which is not identical with God) is expressive of their parents. (91)
All three loves --- creative,salivic, and sustaining --- are united in that each points to a desire for
union .... Creative love (or agape) is the love of God for being as such; it is the affirmation of all
creatures by the parent who bodies forth all that is. Salvic love (or eros)is the passionate
manifestation --- the "incarnation" --- of divine love for us, the beloved;
Sustating love (or philia) is the immanent, companionable love of God who continues always
with us as we work together toward the fulfillment of all. Each kind of love also suggests an
accompanying ethic or dimension of Christian discipleship: justice (agape), healing (eros),
companionship(philia). A Christian lifestyle modeled on God as parent, lovers, and friend
What sort of divine love is suggested by each model? What kind of divine activity is implied by
this love? (92)
I am by no means saying that all Pauline theologies are monarchical or that all Johannine
theologies have characteristics of the theology emerging from models of God as mother, lover, and
friend. Obviously , neither is the case; I am suggesting that to see God as mother, lover, and
friend of the world as God's body is to identify with a long theological tradition, begging with
John ... and gathering others along the way --- such as , for instance, Irenaeus, Augustine,
Schleiermacher, Hegel, Teilhard de Chardin, Rahner, Tillich, the process theologians, and some
feminist theologians. (93)
The metaphor .. but with two qualifications. First, as a metaphor, the relationship of divine agency
and the world as God's body, to human agency and the human body, is one of analogy, not
correspondence --- that is, it both fits and does not fit.
it is obviously ridiculous to think of the world ... as the same kind of body as ours or in the same
relationship to its agent.
we must risk its nonsense as well.
Second, if our model does tend toward the claim that in loving the world, God loves what belongs
to God, is this not a desirable and indeed necessary direction for a vision of the Christian faith as
inclusive of all beings? Would it be more appropriate to speak of God as loving what is alien or
belongs to another reality?
the awareness that "we are not our own," that we owe our existence to the life that came before
us, and must pass life along to those who will come after. Awareness of the intricate,
interdependent network of life, with God at its center as well as at every periphery, needs to
become part of our daily, functioning sensibility: the model of God as the parent, lover, and friend
of the world as God's body is a promising candidate to give imaginative reality to that sensibility.
-9-
(94-95)
<参考文献>
0.芦名定道:
『ティリッヒと弁証神学の挑戦』創文社。
「現代思想とキリスト論」、水垣渉・小高毅編『キリスト論論争史』2003 年、日本キ
リスト教団出版局、pp.529-567。
1.Paul Ricouer:
a. La métaphor vive, Seuil, 1975.
b. "Biblical Hermeneutics (Semeia. 4, the Society of Biblical Literature)," 1975, pp.27-148.
c. Interpretation Theory: Discourse and the Surplus of Meaning, The Texas Christian
University Press, 1976.
d. "Listening to the Parables of Jesus," in:Charles E. Reagan, David Stewart(ed.), The
Philosophy of Paul Ricoeur. An Anthology of His Work, Beacon Press, 1978.
2.Sallie McFague, Models of God. Theology for an Ecological, Nuclear Age, Fortress, 1987.
3.Paul Tillich, Systematic Theology, Vol.1-3, The University of Chicago Press, 1951/57/63.
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