2010 12号

第 12 号 平成 22 年4月1日発行
羽山監督の訃報を乗り越えて 福原 清二(S46年理工・建築学科卒)
鵠志会会員の皆様には益々
さる3月12日には日本出版クラブ会館において羽
ご健勝のことと存じます、日
山明監督の長年の功績を称えて大学より学長名で感
頃は鵠志会や東京理科大柔道
謝状を頂き、鵠志会からも感謝状と記念品を贈らせ
部に多大なご懇情を賜り厚く
て頂きました。感謝状を頂くに当たっては明石野田
御礼申し上げます。
顧問、佐々木神楽坂顧問のご尽力があった事をご報
早いもので理事長就任後一年
告させて頂きます。私も、今年以上に鵠志会の目的
が経とうとしています。
達成の為出来るだけの努力と微力ながら執行部一同
昨年を振り返り重大事件は鵠志会常任理事であり
と力を合わせていく所存です、会員各位の皆さんに
東京理科大学柔道部の羽山明監督が脳梗塞で他界さ
も今以上のご協力よろしくお願いします。
れたことです。ここに謹んでご冥福をお祈りします。
又、会員の皆様へのご連絡としまして一昨年鵠志
その後、羽山明さんと同期で鵠志会執行部総務部長
会として東京理科大学の創立125周年記念事業募金
の涌井俊秋さんに新監督をお願いし快く引き受けて
を百万円したことに伴い、昨年東京理科大学理窓会
いただきました。涌井俊秋さんの最初の監督として
の関連団体として推薦され、関連団体鵠志会として
の大役は、昨年暮れの関東理工科四大学柔道対抗戦
登録されました。これにより理窓会代議員への委嘱
でした。ここに見事優勝を勝ち取ることが出来たの
要請があり、鵠志会理事長の福原清二が、昨年平成
は、鵠志会各位の情熱と温かいご支援に加えて、部
21年12月21日に東京理科大学理窓会会長の塚本桓世
員一人一人の羽山前監督への思いが優勝に繋がった
様より任期平成22年4月1日から平成26年3月31日
ものと感激しています。
までの有期で理窓会の代議員に委嘱されました事を
ご報告させて頂きます。
最後に今年の総会も神
楽坂森戸記念館にて7月
10日(土)に開催いたし
ます。羽山前監督を偲ぶ
内容も企画しております
ので当日多数の会員の皆
様にご出席頂きます様、
宜しくお願い致します。
学長を迎えての総会の様子が「理窓」に掲載される
昨年の10月に東京理科大学同窓会誌「理窓」に鵠
で鵠志会総会とパーティーが竹内学長のご出席を頂
志会総会の様子が紹介されました。
き行われました。それに先立ち柔道場ではOB、現
役の合同練習、親善試合が行われ、森戸記念館では
鵠志会(一部体育局柔道部OB会)
総会・パーティーが開催される
古川喜代志(S34年理・化学科卒)さんによる講演
が行なわれました。「不思議な働きをする焼き物た
平成21年7月4日(土)東京理科大学森戸記念館
ち」と題して永年かかわってこられた電子セラミッ
()
クス材料の話に柔道、尺八の話を交えた興味深いお
話でした。総会の後のパーティーで神棚の寄贈など
長年に渡って会に貢献して頂いた杉原敬治(S35年
理・物理科卒)さんに感謝状が贈られました。キン
グレコードの「祥子」さんの歌声、会員持ち寄りの
景品等による「くじ引き」の後、先日(6月28日)
に行なわれた全日本理工科学生柔道優勝大会の活躍
の様子のビデオ紹介の後、現役の活動報告も行なわ
れ最後に会より現役に支援金が贈呈され総勢54名の
OB、現役共肩を組んで校歌や部歌を歌って盛況の
鵠志会ホームページ http://3net.jp/kokushikai/
うちに幕を閉じました。
(文責 柳川昌徳/鵠志会副理事長)
現役・OB合同練習
古川さんの特別講演
福原理事長より助成金授与
学長にも景品当たる
佐々木顧問のスピーチ
校歌をみんなで
()
現役よりのOBの皆様へのご連絡
神楽坂地区主将 熊倉 康介
昨年度も柔道部へ多大なご
ていきますので、これ
支援、ご援助をして下さり本
からもご支援よろしく
当にありがとうございまし
お願いします。
た。昨年度は大学からの助成
・助成金の運用につ
金を十分に受けることができ
いて
なかったため財政的にとても
鵠志会からの助成金
助けられました。この場を借
は東京学生柔道連盟登
りてお礼申し上げます。昨年度は羽山前監督がお亡
録費と分担金に使わせ
くなりになり非常にショックを受けることになりま
て頂いております。他
した。前監督の意思を無駄にしまいといっそう練習
の支出につきましては
に励み、年末の関東理工科四大学柔道対抗戦では優
大学からの援助金と部
勝することができました。この優勝は羽山監督の意
員各自からの部費によ
思が我々に力を貸してくださったおかげだと感じて
りまかなっております。
います。また、涌井先生に新しく監督をお願いする
・昨年の主な試合結果
ことになりました。涌井先生はよく指導にいらして
50回記念大会となった全日本理工科学生柔道優勝
下さっていました。快くお引き受け下さり部員一同
大会は三位決定戦で日大生産工学に善戦したものの
感謝申し上げております。涌井新監督のもと、より
惜しくも敗れて入賞できませんでしたが東京理工科
洗練された部活動を作り上げるため学生一同尽力し
四大学柔道対抗戦は準優勝、関東理工科四大学柔道
50回全て出場の表彰
対抗戦は優勝という結果を
残す事が出来ました。個人
戦の入賞は野田市民大会一
般の部で制野博太朗が準優
勝、新宿区民大会初段軽量
の部で熊田大樹が優勝とい
う結果でした。
安部一郎十段と共に
関東理工科四大学柔道対抗戦優勝
羽山監督を偲んで
昨年の10月の突然の訃報を聞き涌井新監督初め指
導を受けた鵠志会員の皆さんから追悼文が寄せられ
ましたのでご紹介します。羽山監督は週末に東京で
学生を指導する傍ら勤務先の九州でも仕事の合間に
自らも稽古し九月末の日本マスターズ柔道大会では
対象年齢の−90kg級で見事に日本一の栄冠を勝ち
得ました。その様子は翌週のTBSサンデーモニング
でも取り上げられ大沢親分より「大会にアッパレ」
が与えられたほどでした。その半月後の知らせだけ
に誰もが耳を疑いました。皆さんの追悼文からは生
全日本理工科学生柔道優勝大会の50周年祝賀会で挨拶する羽山監督
前の面影が偲ばれます。
()
監督に就任して
涌井 俊秋(S50年理工・建築学科卒)
平成21年10月15日(木)昼過ぎに携帯が鳴った。
市柔道連盟、入間郡市柔道連盟の役員を務めており
少し沈黙の後「初めまして、羽山の家内ですが、主
ます。平成11年1月に五段をいただき、今年全国高
人がなくなりまして…。」、「ええっ、…どちらの羽
段者大会10回出場の表彰を受けました。
山さんですか?」と恐る恐る尋ねると、「羽山明の
理科大柔道部では、羽山前監督の下でヘッドコー
家内です…。」
チでしたが、特に野田には顔を出す機会が少なかっ
羽山明前監督亡き後、学生の要請もあり監督を引
たと思っています。これからは、鵠志会総務や地域
き受けることにしました。同期の羽山前監督の理科
の柔道活動を軽減していただき、野田、神楽坂に顔
大柔道部への思いを、継承すべきと思ったからです。
を出す機会を増やして行くつもりです。
私の柔道との出会いは、新潟県立巻高校からで、
監督就任に当たって、学生に望むことは以下です。
一年の浪人生活の後、理科大柔道部(野田)に入部
①挨拶、連絡がしっかり出来る人間になれ。仲間、
しました。野田では、羽山、小田切、植木、谷、小
先輩、顧問、指導者、親等のお蔭で柔道が出来
川、浜下、神楽坂では入澤、小森、関根、小菅が同
ることに感謝を忘れるな。
期で、恩田師範、松本先生、金子監督の指導の下、
②技修得の目標を持って一日一日の稽古に一生懸
3年、4年時に全日本理工科柔道大会に3位入賞を
命取り組め。覚えられるのは若い時だ。
果たせました。当時は、週5日の稽古も厳しかった
③同期、先輩、後輩を一生の仲間とせよ。
ですが、ほとんどの部員が下宿だったので稽古後の
学生が柔道を通して立派な人材となれるよう期待
生活も共にし、部員、同期の結束力は強いものがあ
しております。
りました。
佐々木顧問、明石顧問には、お手数をおかけいた
卒業後は、勤め先の㈱間組柔道部に入部し、数年
しますが、よろしく御願いいたします。
間は新橋の東電道場や赤坂の氷川道場などで週1・
2回の柔道を続けました。転勤等でしばらく柔道と
金子師範には尚一層のご指導を、コーチ陣には引
き続きの協力をお願いいたします。
は離れましたが、37才で所沢に移り住んでから、地
域の柔道会で小中学生の指導に当たり、現在は所沢
門松 廣司(S51年理工・建築学科卒)
大学2年生の時、羽山先輩から小さい体で勝てな
段者の部に出場し準決勝戦では地元の120kgくらい
い私に左の一本背負いを勧め指導して頂き、その時
ある相手に、左一本背負いと右小内刈りの合わせ技
から私は柔道が楽しくなりました。
で一本勝ちをし、何とこの私が準優勝しました。
右の背負い投げ、体落とし、小内刈りにこの左一
その決勝の相手は羽山さんでした。36年たった今
本背負いが加わり、以前とは違った試合が出来るよ
も忘れません。
うになったからです。
心より感謝したいと思います。
そして昭和49年の秋、野田市民大会 柔道一般有
羽山先輩、どうぞ天国でやすらかに…合掌。
杉田 克己(S51年理工・電気工学科卒)
羽山先輩から柔道面では、初心者の私に対して本
までに上達することができました。また、同じ電気
当に徹底した指導をして頂き、そのお陰で4年次に
工学科の先輩でしたので、授業面でもいろいろお世
は全日本理工科学生柔道優勝大会の大将を任される
話になりました。さらに学生時代も卒業後も生活・
()
仕事・健康に関することなど、私的な面でも多くの
方の夢を珍しく見た。」と家内に私が報告していた
アドバイスを頂いており、本当に頼りにしていた大
のです。この事実はきっと多くの面倒を掛けた私が
先輩です。
気になり、わざわざ最後の挨拶に来てくれたものと
その羽山先輩の訃報に接し、あまりの驚嘆で一時
確信しています。
は言葉が出せない状況でした。多くの思い出がまさ
通夜当日に参列でき、お顔を拝見できお別れがで
に走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのです。その
きたことがせめてもの慰めとなりました。羽山先輩
報を私同様に先輩をよく知る家内に話したところ、
亡き後も、これまでの教えを思い起こして、今後の
「羽山先輩がやはり夢枕に立ってくれたのでは」と
生活を先輩の分まで充実させたいと考えておりま
いうのです。実は訃報をもらう前のちょうど亡くな
す。合掌
られた日の朝に「今日は何故か多くの柔道部の先輩
榊 裕一(S57年理工・電気工学科卒)
羽山さんが亡くなって大変ショックを受けまし
かしい思い出です。
た。実は羽山さんが亡くなる3週間前に私の父が亡
東京から北海道に戻る際「しっかり親孝行しろ
くなりました。二人とも私の精神的支柱でありまし
よ。」とかけていただいた言葉が今でも耳に残って
た。現役時代、羽山さんには大変お世話になりまし
います。羽山さん亡き後大変だろうと思いますが、
た。一緒に講道館で稽古したことや、稽古の後にビー
これからの柔道部のますますの発展が、羽山さんへ
ルをおごっていただいたことなど、今ではとても懐
の恩返しになると思います。
中條 尚(S58年理工・電気工学科卒)
通夜のとき奥様が学生に向けて言われた言葉で
羽山さんは自分のために行動出来る人だったと思
す。
います。
「主人が私たち家族にいつも言っていたことは『自
自分のために行動出来る人だからこそ、あんなに
分のためにやりなさい』でした。皆様も自分のため
長く、一生懸命、学生の面倒をみることが出来たの
に頑張ってください」
です。
学生時代、社会人と30年間お世話になりましたが、
羽山さんは「自分のために」ということを私に教え
自分を尊重出来ない人は、他人の面倒はみられま
せん。まずは自分です。
たかったのだと思います。
羽山さんは亡くなってからも私たちに影響を与え
周囲の人が反対した就職も「お前がやりたいなら
てくれる人です。
やってみろ」と言ってくれたのを思い出します。
森 拓志(H17年理・応用物理科卒)
羽山さんについて、最も印象に残っているのは私
その後も監督となり柔道部の指導をしていただき
が現役の頃、鵠志会総会前の練習に参加した羽山さ
大変お世話になりました。
んが当時の柔道部のポイントゲッターである大島を
ご冥福をお祈りします。
投げていた姿です。
その姿を見て、現役を退いても強くいられるとい
うことを感じました。
()
岩堀 浩太郎(H19年理・数理情報科学科卒)
鵠志会員、現役部員の方々
年5月に行われた東京学生柔道優勝大会での東海大
ご無沙汰しております。平成
学との試合での出来事。(これまた改めて説明する
17年度に神楽坂地区の主将を
必要はありませんが)東海大学は山下泰弘、井上康
務めさせて頂いた岩堀です。
生を始めとしたオリンピックメダリストを輩出し、
大学を卒業して社会人になっ
大学柔道界では国士舘大学と並び全国1、2を争う
てからは柔道着に袖を通す機会が減ってしまいまし
強豪です。私は既に引退していたので、選手として
たが、合間を縫って月に1、2回は近所のスポーツ
ではなく観戦者としてチームを応援していました。
センターで稽古することを心掛けています。
非常に失礼ですが、私は「ほとんど相手にならず7
さて、この度は花輪先輩から引き継いだOBリレー
−0でオール一本負けする」と予想しました。「オー
トーク(?)ということで、この場をお借りして昨
ル一本負け」という結果は見事(?)的中しました
年10月に急逝された羽山監督への追悼と感謝の意を
が、「ほとんど相手にならない」という内容は外れ
書き表したいと思います。
ました。選手達は技術、体格、経験等の地力を圧倒
大学入学と同時に柔道部に入部した私ですが、羽
的に上回る相手に対して、強い気持ちで闘うことに
山監督とのお付き合いを深めさせてくれた転機と
より善戦したのです。へたれた試合をしたときはき
なったのが大学3年目の時、具体的には主将に任命
つく叱る羽山監督が、「お前達は本当に頑張った」
されたときです。柔道に限った話ではないですが、
と褒めていた光景は今でも頭に残っています。
一般的に高校と比べ大学のほうが部員が持つ裁量が
勝負の世界はプロセスよりも結果を求められま
強いと言われています。(改めて説明する必要もあ
す。極端な例を出すと、1日10時間血反吐を吐くほ
りませんが)理科大柔道部は特にこの傾向が顕著で、
どの厳しい稽古を毎日続けた者と、帯の結び方を昨
練習を始めとした活動の大部分の権限が主将に委ね
日知ったような初心者が試合をして後者が勝ってし
られていると言っても過言ではありません。もちろ
まった場合、讃えられるのは後者でしょう。このよ
ん伝統のある部活の主将としての立場上、そしてメ
うな観点から、プロセスは軽視されがちですが私は
リハリのある雰囲気を作るために妥協はしないよう
そう思いません。超人的な強さを誇る方と練習、試
意識しました。しかし辛いことがあると無意識のう
合をさせて頂いた機会はこれまでに多々ありました
ちに自分に対して甘えてしまうもの。そんな自分の
が、皆人一倍の努力をしています。このことからも、
「悪い部分」が出たとき、羽山監督にきつく叱られ
羽山監督が素晴らしい指導者であったと改めて感じ
た記憶があります。私が持つ羽山監督の印象は「厳
ております。また、そのような方と知り合うことが
しさとやさしさを持ち合わせた方」です。前述した
出来たのは非常に光栄です。
とおり、妥協をすることに対しては強く叱咤されま
今後は社会人としてでも接しさせて頂きたいと考
すが、直向きに努力する者に対しては温かく見守っ
えていた矢先のことだったので、無念でなりません。
てくれました。
改めて羽山監督のご冥福をお祈り致します。
そんなイメージを強くしたエピソードが、平成19
小松 輝誉彦(H22年基礎工学部 生物工学科卒)
野田柔道部の私は、試合や合同練習などでしか羽
私たち部員のことをとても良く考えてくれているの
山監督とお会いする機会がありませんでした。しか
だと思うことばかりです。試合の際にも、緊張する
し、練習の際には監督自ら体当たりで部員に混ざり
部員を励まして次に繋がる指導をして頂いたことは
練習をしたり、指導をして頂いたりと、思い返せば
忘れられません。本当にありがとうございました。
()
心より感謝したいと思います。
課題として残りました。
羽山監督、どうぞ天国で安らかにお休みください。
しかし、今年度の試合では昨年の反省を生かし、
ご指導を受けた現役時代を振り返ってみますと
全日本理工科学生柔道優勝大会では敗者復活枠から
私が柔道部に入部したのは、2年生の時でした。入
勝ち上がり、3位決定戦まで行き着くことができま
部当初は、同期生や同学年でありながら先輩である
した。さらに、気持ちという面でいえば、今年度最
2年生とどう接するべきか悩んだ時期もありまし
後の試合だった関東理工科四大学柔道対抗戦が一番
た。しかし、先輩や友人の助力もあり、すぐに部に
部員の試合に勝とうという気持ちが出ていたと感じ
溶け込むことができたことは今でも感謝していま
ます。団体戦という状況においては、一人ひとりの
す。
モチベーションもさることながら、チーム全体の雰
私は昨年度、野田柔道部の主将を務めさせていた
囲気や勢いが最終的に勝利という結果にたどり着く
だきました。指名された当初は、はたして自分が主
ことを体現した試合のように感じてなりません。
将としてやっていけるのか不安でしたが、部長をは
いまだ、技術的に不足している面も多々あるとは
じめ部員のサポートもあり、何とかやり遂げること
思いますが、気持ちの充実しているこの状態を維持
ができたと感じています。この年の試合では勝てる
しながら更に部活を盛り上げていくサポートをOB
ような試合で負けたり、勝つべき所で勝てなかった
の一人として手伝えればと考えています。
りと、「気持ちで負けている」ということが大きな
佐直 正浩(理工・数学科)
羽山監督には通常の稽古のみならず、試合や合宿
がつい最近のように感じられます。
等でも大変お世話になりました。
羽山監督亡き後もよりいっそう柔道部を盛り上げ
入部直後の歓迎会でこれからの柔道部を引っ張っ
ていくことができればと思います。
ていってほしいと肩を叩き激励して下さった時の事
()
()
たくさんの皆さんから追悼文を頂き誠に有難うご
が生前の業績はともあれ皆が尊敬する要因として30
ざいました。奥様から羽山前監督が書き残したメモ
余才で命を落としているからでは無いかと思いま
がある事をお聞きして、現役学生や若い鵠志会員に
す。羽山前監督は安房高校柔道部出身で理科大柔道
も参考になるかと思い了解を得て掲載させて頂きま
部にはない一流の柔道センスを身につけ爆発的な行
した。奥様から皆様へのお礼のメッセージになれば
動力とカリスマ的な人間性で理科大柔道部に鮮烈な
という言葉も頂いています。最後の「60才からが人
影響を与え去っていった様に思います。天国では恩
生本番」の言葉が有りますが60の数字を濃くなぞっ
田東周先生に「こっちに来るのが早いよ」とお叱り
ている心境を思うとさぞ無念であったろうと胸が熱
をうけているかも知れません。しかしながらその影
くなります。今、大河ドラマでも取り上げられ坂本
響が鮮烈であればあるほど失った時に深く残ってい
龍馬がブームとなっていますが、龍馬は生まれた日
くものの様にも思われます。後に残されたものは彼
と暗殺された日が同じです。
のイズムを継承しこれから精一杯努力していく事を
幕末の日本存亡の危機にこの世に生を受け、大政
確信しています。心よりご冥福をお祈り申し上げま
奉還の大事を終えて天に召されたとの説があります
す。合掌。
()
柔道ができる 小室 真吾(H20年基礎工学部・生物工学科卒)
皆様、ご無沙汰しております。
現在は知り合いの整骨院の先生や高校柔道部メン
野田地区出身の小室です。学生
バーと「フラスター柔道部」を作り、東京都荒川区
時代は、金子師範、森地先生、
のスポーツ施設で稽古し、社会人の試合にも出場し
鵠志会の方々、青柳コーチにお世
ております。現在部員も募集しています。また、社
話になり、柔道部の先輩方、同期・
会人として行うなら社会貢献もしようということで
後輩メンバーに恵まれ、全日本理工科学生柔道優勝
海外の子供達へ柔道着を送る活動にも取り組んでい
大会2連覇という貴重な体験をさせて頂きました。
ます。なんでもネパールにでは柔道着が1着8千ル
学生時代、私は基礎工学部に在籍しており、大学
ピするそうです。現地の方の1か月の平均給与が約
1年目は北海道の長万部キャンパスにおりました。
8千ルピということで、柔道着は高価な物らしくネ
基礎工学部1年生は長万部で寮生活を行うというも
パールの方は柔道着を着ないで練習したりしている
のでした。そのため、部活動は各人が自由にメンバー
そうです。2009年度は柔道部として22着の柔道着を
を集め、5人以上集まれば活動として認めるという
ネパールへ送ることができました。
もの、なんとか定員5名が集まり柔道部をスタート
今年はもっと多くの柔道着を送れるよう、多くの
しました。しかしながら長万部キャンパスには専用
子供が「柔道ができる」ように様々な方面へ呼びか
の柔道場はなく、体育館に畳を毎回並べての練習で
けていきます。
もし、眠っている子供用の柔道着がございました
した。また、共用スペースのため、限られた時間の
中での貴重な稽古でした。これまで中学、高校と当
ら、ぜひともご協力お願い致します。
たり前に柔道ができていたことは本当に恵まれてい
柔道着送付先 ※子供用(1号~3号)を特に募集
たのだなと実感致しました。身体・人・環境に恵ま
しています
れ初めて「柔道ができる」のだなと。「柔道ができる」
〒110-0003 東京都台東区根岸2-11-6 石巻ビル2F
ことは本当に幸せなことです。
株式会社フラスター 柔道着係
四十年ぶりの矢島藤男さんの墓参り 平成21年11月7日(土)に小川雅章(S50年 理
象的でした。その後は小田原観光、夜は旧交を温め
工・経営工学部卒)さんのお世話で当時、事故死さ
ての大宴会となりました。遠路からの人は宿泊し午
れた矢島さんと一緒に汗を流した理工学部昭和48年
前中は講道館で東京学生柔道二部優勝大会を観戦し
卒から51年卒のほぼ全員が全国から集まりました。
午後は千葉の羽山宅に伺ってお焼香をさせて頂く事
羽山前監督はそのあくる日の東京学生柔道二部優勝
となりました。「矢島の墓参りで上京したのにまさ
大会との日程調整をしている最中の訃報で欠席とな
か羽山の焼香をする事になるとは」といった富山か
りました。小田原近郊の足柄上郡にお墓参りをし、
ら来た五十田忠雄(S49年 理工・建築学科卒)さ
その足で全員でご両親に挨拶に参りましたところ驚
んの言葉が心に残りました。
きの中にも感謝の念からか涙を流されていた事が印
(10)
慶弔
・訃報
大黒正二さん(S35年 理・化学科卒)
千葉県市原市在住 平成21年5月1日
告別式
羽山 明さん(S50年 理工・電気工学科卒) 千葉県千葉市在住 平成21年10月13日 享年57歳
謹んでお悔やみ申し上げます
編集後記
今回は追悼文も含め皆様より多数の原稿を頂きま
鵠志会ホームページにアクセスしよう!!
して誠に有難うございました。
URL http://3net.jp/kokushikai/
皆様への原稿依頼に付きまして『ペンリレー』と
ホームページをお持ちの方はリンクできます。
いう方式をとらせて頂いておりまして原稿をリレー
ちなみに「祥子」さんのホームページは
形式(最初に依頼した方から次の方に確実にバトン
URL http://3net.jp/shoko/index.html
タッチして頂く。)で出して頂く事となりましたの
で前任者から依頼が有りましたらご協力宜しくお願
鵠志メイル編集委員会 柳川 昌徳
い致します。
(S49年 理工・建築学科卒)
TEL.04−7134−0486
これからも皆様の情報交換の媒体としてご意見や
FAX.04−7134−0487
ご指導を頂きより良い会報となる様努力して参りた
[email protected]
[email protected]り
下さいます様お願い致します。又、掲載広告に多数
応募頂きまして誠に有難うございました。
2011年度版鵠志メイルに掲載する広告を募集中で
す。
ご協力お願い申し上げます。
※皆様のご近況や慶弔などについても情報が有り
ましたらご連絡下さい。
「祈冥福 羽山前監督」
「生 老 病 死」
杉原 敬治(S35年理・物理学科卒)
相続プラザ小田原行政書士中條尚事務所
ブラジリアン柔術・総合格闘技
RBアカデミー
中條 尚(S58年・理工・電気工学科卒)
こども柔道&柔術教室
〒225-0024横浜市青葉区市ヶ尾町1169-B1 TEL:045-972-5422
花輪裕樹 山崎洋一(H15・16工・機械科卒)
(11)
相続に関する事ご相談ください。
神奈川県小田原市上新田21 TEL・FAX0465-45-0399
URL http://www.souzoku-s.com
日本人の心に響く尺八、やりませんか。
ストレスも解消し、リタイヤー後も充実します。
日本尺八連盟 竹帥大師範
古川 韶山
(喜代志)
(S34年理・化学科卒)
山田 茂(S44年理・物理学科卒)
野田市みずき2−17−4 電話04−7124−5910
清水建設株式会社
鵠志会元理事長
熊木 重次(S35年理・化学科卒)
株式会社 鈴木法科学鑑定研究所
鈴木 隆雄(S36年理・物理学科卒)
TEL:045-361-4311
URL:http://houkagaku.co.jp
福原清二(S46年理工・建築学科卒)
TEL03-5441-0041 FAX03-5441-0416
望月 哲夫(S46年理・物理学科卒)
森 俊幸(S43年理・工業化学科卒)
(S50年理工・経営工学科卒)
坂元 充(S44年工・電気工学科卒)
柴田 昇(S51年理工・経営工学科卒)
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建築設計・監理/宅地開発事業
新築から耐震診断、改修工事まで建物のことなら何でもご相談下さい。
ᧉ௅ࡠӮ࡫ሰᄂᆮ৑
しょう
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一級建築士事務所 昌
〒250‐0862 神奈川県小田原市成田 468-3
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設 計
所長 柳川 昌徳
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⁇⁄‾‒‒⁚⁦⁦⁢‬‡‡⁩⁩⁩†⁝⁓⁖⁡ ⁓⁦⁥⁧†⁕⁡†⁜⁢‡
(S49年理工・建築学科卒)
東京短資㈱ 箱根保養所
TEL 04−7134−0486 URL http://sho2000.net
Since 1960
日本油化工業株式会社
Since 1972
日本醗酵飼料株式会社
CCTV レンズの開発・製造・販売
既存の概念にとらわれない製品開発をもっとうに!
より安全に、良い環境つくりに、貢献しています
型式 RHM50Z1040MP
50 ×ズームレンズ
焦点距離 10-500 ㎜
絞り範囲 F 4-360
重量 約 3.1 ㎏
代表取締役
レンズの設計・製造等の開発及び特注品等も承ります。
レイマックス株式会社
代表取締役社長 川 口 勲(S39年理・物理学科卒)
〒229-0034 神奈川県相模原市共和4-13-1 フェスト淵野辺2F
TEL:042-754-4671 FAX:042-754-4673
http://www.raymax.co.jp
(12)
鈴木 幹久(S38年理・化学科卒・暁星高校卒)
鵠志会 理事長
理窓会 幹事
理窓会 神奈川支部 副支部長
〒 210-0022 川崎市川崎区池田1-5-4
TEL. 044-244-4334 Fax 044-245-1944
E-mail:[email protected]
http://www.n-hakko.com