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 平成24年度
号
第三
平成24年10月6日発行
北海道札幌北高校合唱部OB会
コンクール全日程終了!北高は惜敗 北高合唱部は、先月9月8日(土)にNHK全国学校音楽コンクール北海道ブロック大会に出場し、課
題 曲 も う 一 度 作 詞 : 星 野 富 弘 作 曲 : 千 原 英 喜 自 由 曲 や さ し さ は 愛 じ ゃ な い よ り さ び し い と 思 っ て し ま う 作 詞 : 谷 川 俊 太 郎 作 曲 : 三 善 晃 の2曲を演奏しました。惜しくも
銀賞で、帯広三条高校が金賞を取り全国大会に出場することになりました。しかし最後の全体合唱で会場
に広がったのは北高色の音色だったと思います。来年こそはNHKホールもその色に染められるようO
B・OGの皆様もいっそう練習に顔を出しましょう♪ また、その次の週の9月16日(日)には全日本全国合唱コンクール全道大会高校Bに出場し、課 題 曲 G3 無 声 慟 哭 よ り 鳥 の よ う に 栗 鼠 の よ う に 作 詞 : 宮 澤 賢 治 作 曲 : 林 光 自 由 曲 鳥
の た め に よ り 街 の 歌 作 詞 : 山 崎 佳 代 子 作 曲 : 松 下 耕 の2曲を演奏しました。見事金賞・支
部長杯を受賞したものの、残念ながら全国大会には旭丘高校が選ばれました。 どちらのコンクールも全国行きは逃してしまいましたが、素晴らしい演奏をありがとうございました! ま ず は コ ン ク ー ル に つ い て 、 平 田 先 生 に 寄 稿 し て 頂 き ま し た ! ありがとうございました(今日は長いです) 31期 平田稔夫 結果からいえば、全国に進めなかったという報告をすることになりました。そのことからいうと残念なので
すが、うれしい、そして懐かしいエピソードの再現のような出来事があったコンクールシーズンでもありまし
た。強烈な個性の集まりだった62期(何故か赤いジャージの学年は気風も赤いです)の陰になることもなく、
まっすぐで練習熱心な子が多い3年生が細やかに後輩達に声をかけて粘り強く練習した、そんな夏だったと思
います。いつまでも続く暑さの中、試行錯誤しながらの練習で一進一退、いろんなことがあったのですが、両
コンクールとも、両コンクールとも最終的には今の私達に出来る限りの演奏ができたと思います。 N コンは札幌地区の参加が17団体。10年前は8校ですから、ずいぶん増えたものです。今年は音量とい
う点では全く心配がなかったのですが、自由曲の「さびしいと思ってしまう」はもちろん、課題曲の「もう一
度」の超シンプルな故の難しさもあり、地区大会前はパート内の声、ハーモニーといった基本的な要素がなか
なか混沌から抜け出せず苦労しました。転機が見えたのは地区大会の少し前だったでしょうか。個人で声をか
けあって修正していく能動的な雰囲気が生まれてきたことで音楽が動き出したのを実感できました。 全道の軍配は得意の輝昭曲で自由曲の完成度の高かった帯広三条に上がりましたが、これまたお得意の松下
民謡系で演奏後に先生のガッツポーズまで出た旭川東、なんと松本望の新曲を育ててきた旭丘…上位4校は相
変わらずの混戦。そんな中私達も個性を生かした三善作品をしっかり歌いきった演奏で、発声、音楽ともに近
年の中でも最も手応えがあったと思います。それだけに残念な結果ではありましたが、2日後から期末考査と
いう過酷な日程に突入したのでした(かわいそうでした)。ステージ開放の時間帯に元手稲の伊藤光也先生が
今日の北高の演奏にとても感動したとわざわざ言いに来てくれました。山城先生が亡くなったことをお伝えし
ました。 一週間後の全日本はなんと再び札幌市民ホール。「仮設」を銘打って立てたホールの限界もあり、また、聞
く場所によって全然音が違っていて難しいホールですが、しかしそういえば少しだけですがステージの中は以
前よりは響いて聞こえるようになったかな?テスト明けの木曜、金曜日はやはり「声は戻ってきているからな
んとか集中してくれ!」という状態だったのですが、前日の土曜日になって大きな変革があり、この曲らしさ
を存分に表す演奏になったと思います。夏になって全員でのサウンドがとても良かったことも、良い収穫だっ
たと思います。本当に僅差(1位の数が2対3)で、あと1人の結果が1つ動いていたら、あるいは参加校
(今回24校)があと2校増えて全国の枠が3校だったら…そんなほんの少しのことでした。 さて、お待ちかね、最後のエピソード。全日本の自由曲「街の歌」の作曲者でもある松下耕先生が審査員と
していらしていたのですが、北高の演奏が終わって客席を見ると、松下先生がオーバーヘッドで大拍手。閉会
式のあとステージから退場する時にも明らさまに北高生に向けて(笑)手を振り、順位も1位、講評も絶賛、
翌日中学を聞きに行っていた私のそばを通り過ぎる度に「ホントよかった。しびれました。(こっそり)絶対
1位だと思ったのに…」と声をかけてくれ・・・ここまで読むと51~53期の皆さんは思い出しますね。1
2年前の N コン全国(課題曲が彼の「はじめに…」)の終了直後、北高生を探して NHK ホールのロビーをさ
まよい歩き、私達を見つけて「感動しました、私は一番よかったと思います」と言ってくれたあの「松下事
件」の再来でした。 10月3日におこなわれた北高110周年記念式典 at Kitara では合唱部はこの「街の歌」と合唱部のテー
マ曲のような「銀河鉄道999」を歌いました。コンクール後もまるで全国大会前の練習のようにみんなで音
楽作りに励んでくれ、本番の「街の歌」は本当に全国大会のような緊張感と充実感に包まれました。とにかく
音色がいい。ホールは平和への強い祈りに包まれ、エンディングという過酷な場面でのソロも3年工藤(番
長)綾夏が150点の出来。999を弾いた3年北谷(下の原稿の主)も演奏後のお辞儀では目にいっぱいの
涙を浮かべていました。全校生徒が聴き入る中で、むしろ全国大会では得られないものをいただいた前半最後
のステージでした。式典後半の吹奏楽との合同演奏(威風堂々とハレルヤ)では、私がハレルヤの指揮をさせ
ていただき、校歌斉唱前のトリの曲で、おいしいところを味わわせていただきました。旭川からお越しいただ
いた39期藤森君はじめ、お忙しい中お手伝いいただいた10数名のOBの皆様に深く感謝します。 現役はこれから1、2年生で定演に向けて活動していきますが、とりあえず11月11日に Kitara で行われ
るスクール音楽祭に出演。1月6日には札幌でおこなわれる THE THREE という演奏会(松下耕先生率いる
Gaia Philharmonic chior と同い年の指揮者が率いるフィリピン、シンガポールの合唱団のジョイントコン
サート)に賛助出演し、1・2年と私が指揮する一般合唱団ザ・ガウジュの合同で「街の歌」を歌います。ユ
ーゴスラビアの内戦の中、「やがて音楽が」戻ってくるというこの曲とはこれからもつきあっていくことにな
ります。 私事で申し訳ないのですが、49期が1年生の時に生まれた長女・萌が国際情報高校に入学して合唱を始め、
三善先生の「木とともに人とともに」を歌い、北陽中2年の次女・望は「私が歌う理由」。N コン札幌地区で
三善曲を歌ったのは小中高合わせてこの2校+北高でした。偶然とは言え、因縁を感じました(笑)親子で三
善で渋谷行きはなりませんでしたが、北陽中が「沈黙の名」を加えた2曲で全日本@鹿児島に行くことになり、
私は応援がてら高校部門も聞いて勉強してこようと思っています。 いよいよ定演に向けて始動します。また多くの方々と多くの場面でお会いできることを願っています。 次 に 現 役 通 信 で す ♪ ♪現役通信 北谷由布@63期 こんにちは!63 期アルト下の北谷由布です。 先日、私達 3 年生にとって最後のコンクールがおわりました。
ご存じの通り、N コン、全日本ともに全国大会に進むことが出来ず、どん底まで沈んでいましたが、最近にな
ってようやく気持ちの整理がついてきたところです。 N コンは全国大会に出場したことがなかったので「今年
こそ」と思って練習に取り組んでいましたが、NHK ホールへの道は遠くて、たどり着くことが出来ませんでし
た。でも、悔いは全く残っていません。「やりきった」と言える演奏が出来たと思いますし、北高合唱部の音
楽を出しきることができたと思っています。本当に楽しいステージでした。こんなにすっきり終えることがで
きた N コンは初めてです! N コン直後、毎年恒例のテストを乗り切り、全日本に向け本格的な練習を再開しま
した。 テストが終わったのが木曜日で、本番が日曜日。N コンの曲に比べ全日本の曲は練習があまり出来ていなか
ったので不安な気持ちでいっぱいでした。私自身、それなのにどうしても練習で気持ちを高めることが出来ず、
歌いたいのに思うように歌えず、辛かったです。前日の練習前も 3 年生のアルトで練習しましたが、自分で練
習してきたところも私が歌うとみんなの声に合わなくて指摘されることも多く、どうしたらいいのかわかりま
せんでした。その日の練習では「やれるだけやってみよう」と思い、やっと気持ちを高めることで、自分の歌
い方に戻ることが出来ました。不安だったことが一つずつなくなっていき、全体の音も前日よりどんどん合っ
ていくのがわかり、練習が終わったときにはそれまでの不安や焦りは消えていました。 本番のステージは・・・歌っている感覚はあまり覚えていません。審査員席を見たときに、松下先生の講評
を書く(パソコンに打つ?)手が止まっていたことを鮮明に覚えています。練習中に平田先生が「松下先生の
手が止まるような演奏をしたいね」とおっしゃっていて、「そうなればいいな」と思って練習していたので、
松下先生が聞き入ってくれているのがわかってすごく嬉しかったです。それだけに、本当に悔しかったで
す。 コンクールは終わってしまいましたが、まだ 110 周年記念式典で歌うことができます!あと 1 週間ちょ
っとですが、もう一度見直して、北高合唱部の音楽を全校生徒に届けて来たいと思います。 最後になりましたが、ご指導してくれた平田先生、印部先生、応援してくれた OB・OG さん、一緒に頑張っ
てくれた後輩達、そしてずっと一緒に頑張ってきた 63 期のみんな、感謝の気持ちでいっぱいです。みんなが
大好きです!本当にありがとうございました!。 岡田果純@64期 9月も下旬に差し掛かり、やっと涼しくなりました。今年も、コンクールとコンクールの間にテストという
怒涛のスケジュールでしたが、私たちはできるかぎりの音楽を造ってコンクールに臨めたと思います。 Nコンは、全員でステージに立つことができません。その面でいろんなことを考えたり、感じたりしながら
練習してきました。私は自由曲のみの出場でしたが、自由曲はもちろん、課題曲を聴いているときも、みんな
で音楽を造ろうと思い続けました。全日本の本番三日前まではテストがありましたが、テスト期間中はこっそ
り練にいったりしながら、少ない時間で練習してきました。 全日本は、はじめて今の部員全員で舞台に立てるコンクールでした。本番は、そのことを楽しむことが出来
たと思います。 N コンも全日本も、本番前はつい緊張してしまいました。でも、当日の午前中にアンサンブルをしている時
や舞台裏で円陣を組んでいる時に、ふと横を見るとみんながいて安心することができました。 結果はどうであれ、私はどちらのコンクールでも音楽を届けることができたと思います。全国に行けないの
は悔しいですが、演奏に悔いはありません! 10月3日には北高校の110周年記念式典があります。このような行事に合唱部としてかかわれて嬉しい
です。本番は、たくさんの方に演奏を聴いてもらえる貴重な機会なので、北高合唱部の音楽を聴いてる方に楽
しんでもらえるようにこれからも練習していきます。 山岸祐太@65期 こんにちは。65 期の山岸祐太です。早いもので、入部から半年が経ちます。この半年、16 年の人生の中で
一番充実しているのではなかろうか、と思うこの頃。勉強も、部活も、あれも、これもと大忙しですが、充実
しているのは幸せなことですね。いやぁ、ほんと、この時間を大切にしたい!!僕は北高うた部メンバーとして、
既に幾つかステージに立たせて頂きましたが、その1つ1つに、それぞれ思う事がありました。特に2つのコ
ンクールでは、歌うことの喜び、そして自分の無力さを感じ、もっと上手くなりたい、もっと皆と1つになり
たい、そう思いました。 コンクール後には、もちろん悔しさもありましたが、それ以上に心に“決意”とも呼べる、何か強いものが
生まれた気がしました。その気持ちを失わず、今後も練習を続けて行きたいです。 3年生が引退してしまい、1,2年による新体制が始まります。これから更に1年生の努力と、それに伴う実力
がカギになってくるでしょう。もちろん不安は尽きません。先輩方の半分がいなくなってしまうんですから。
ベースに関して言えば、先輩の数は3分の1になるんですよ!? しかし、そう甘えてもいられません…。これは
どの代も通る道で、避けられなくって。頼る相手が少ないと言う事は、自分の力を伸ばすチャンスでもあるは
ずです。3年生の音楽に対する熱い思いを引き継ぐつもりで、自分たちもまた、熱い音楽をしていきたいです。
1年生は若いですから!!若さの持つ無限の可能性で、これからも練習顔晴るぞぉーっ!!! 原 稿 を 寄 稿 し て く だ さ っ た 方 々 、 あ り が と う ご ざ い ま し た ♪ 山城義憲先生をしのんで 札幌北高校在任中に、合唱部・吹奏楽部顧問としてご活躍されていた山城義憲先生が八月
三日に永眠されました。心よりご冥福をお祈り申し上げますと共に、追悼文として、平田
稔夫先生、青山康治OB会長、34期 加藤雅子さん、41期 野呂紀子(旧姓湯浅) さ
んに寄稿して頂きました。 <山城先生略歴> 1938 年 北海道追分町(現:安平町)に生まれる ピアノを横谷瑛司氏、声楽を駒ケ嶺大三氏に師事。1962 年 北海
道学芸大学(現:北海道教育大学)特設音楽科卒業。以来、北海
道追分高等学校、北海道赤平西高等学校を歴任。1979 年北海道札
幌北高等学校に赴任。以来合唱部、吹奏楽部の顧問として活躍。
昭和57年3月に合唱部、平成2年3月に吹奏楽部で第1回定期
演奏会を開催。昭和57年、58年、平成9年にNHK全国学校
音楽コンクール全国大会出場、昭和62年(名古屋)、平成10
年(境港)に全国高等学校総合文化祭出場。平成5年発刊の札幌
のコーラス(北海道新聞社)に紹介される。1999 年 3 月北海道札
幌北高等学校を退職。その後小樽短期大学、札幌北高等学校講師を歴任。卓球、囲碁など多彩な
趣味を持つ。 山城先生の思い出 34 期 加藤雅子 山城先生の突然の訃報にしばらく言葉もなく茫然としておりました。 先生が北高を定年で退職された時の演奏会で歌って以来、ほとんどお顔を拝見しないままのお別れとな
ってしまい、なぜ「北高の定演に行きさえすればいつでもお会いできるだろう」などと思っていたのか、
もっと札幌に帰ることができたのではないかと後悔することしきりです。 私は 34 期ですので第一回定演の時に高校一年でした。第一ステージは「北の大地」。一曲目はその年の
NHK コンクール自由曲にも取り上げました。中学から合唱部で歌ってきましたが、混声四部合唱に初めて
取り組むことになり、夢中で練習に通った思い出深い曲です。 思えば三年間、合唱に明け合唱に暮れた高校生活でした。毎日早朝登校したら音楽室で自主練習、早弁
して昼休みはぎりぎりまで音楽室で歌い続け、チャイムとともに走って教室に戻るという生活を続け、ク
ラスにはほとんどいなかった私の北高生活の思い出は常に合唱部と、そして山城先生とともにあったと言
っても過言ではありません。 先生に導いていただいたおかげで合唱は一生の友になりました。先生にも悩みも迷いもおありだったか
も知れませんが、私にとって、そしてみなさんにとって、先生はいつも陽気に冗談を飛ばしながら指揮台
に立つ頼もしい存在であったと思います。先生の指揮についていけば間違いないと信じて歌うことのでき
たあの時間はとても幸福だったのだと心から思います。いま自分が合唱を指導する立場になり、自分は当
時の先生の半分でも団員ひとり一人のための指導ができているだろうかと自分に問いかける日々です。 卒業して成人してから、何回か山城先生とご一緒にお酒を飲む機会がありました。お正月か夏の練習の
あとだったかと思いますが、先生の行きつけのお店に(定休日にも関わらず開けてもらって)連れて行っ
ていただいたり、生ピアノで歌えるお店でいきなり「オー・ソレ・ミオを歌え、最後は High C だ」とい
う先生のご命令で歌ったり、そうかと思えば先生がしみじみと「君たちとお酒を飲んで話ができるように
なって嬉しい」と仰って下さったり、幾つかの思い出がいまとなってみるととても大切なものだったのだ
なと痛感しています。 もっと先生とお会いしたかった。私が高校生だったころの先生と同じ年代になったいまこそ、先生とい
ろいろなお話がしたかった。哀しみと悔いは尽きませんが、山城先生は私たちが哀しい寂しいと泣くよう
なことは望んでいらっしゃらないのではないかと思っています。山城先生と北高合唱部の思い出を胸に元
気に歌い続けていくことこそが先生への恩返しになると信じて、これからを進んでいきたいと思います。 山城先生、ありがとうございました。どうぞ安らかに。 追悼 41 期 野呂紀子 ご無沙汰しております。41 期の野呂紀子(旧姓湯浅)と申します。7 月に送って頂いた OB 会報を読み、懐
かしい真二先輩のご寄稿に共感し、『いいなぁ真二先輩…山城先生とこんな深い結びつきがあったんだ』
と思いながら、何度も読み返していました。そんな矢先の…悲しい知らせでした。 私も合唱部にしっかりはまってしまった部員の一人で、練習にもかなり熱心な方だったと自負していま
すが、山城先生に対しては、思いはすごくあるのにあまり近づいて話したりできない生徒でした。その分、
指揮台の上の、見てないようで一人一人を見ていて下さる先生に、認められたくて懸命になっていたよう
に思います。ソプラノの立ち位置から先生の左横顔を見ながら歌っていましたが、指揮棒で譜面台を叩き
ながら演奏を止めて、「ソプラノ。」とちょっと流し目でこっちを向いて下さるとき、「はぁ、まずかっ
たか」と思いつつも、振り向いてもらえて嬉しい幼児のような心境でした。そして『勘違い平行棒』や
『かるサバ』などの名語録を交えた和やかなアドバイスに、さらなる向上心を奮い立たせたものでした。 私の同期は男声が多く、しかも皆さん熱心でした。確か二年生になったばかりの頃、男声合唱用の小曲
の楽譜を手に音準から出てきた男の子たちが、先生の楽しげな指揮で素敵なグリーを奏で始め、『先生を
取られた』と泣きたい気持ちになった憶えがあります。当時、熱心に指導に来てくださっていた 29 期の前
田肇さんの、知る人ぞ知るちょっと年頃には恥ずかしい発声練習(笑)を、私達は懸命に取り入れました。
そして忘れもしない、春市に向けた『思い出になりきれない思い出』のアンサンブル。高い G の音を、OB
交えた強烈なトップテノールに対抗して、これでもかとばかりに張り上げたところ…先生が目を丸くされ、
ちょっと頬を紅潮させて『そうだ…一人一人がそれくらいの声量を出せれば、数で負けている男声にだっ
て太刀打ちできるんだ』と褒めて下さったのでした。 私の期は吹奏楽部も熱心で、「今年のブラスは目の色が違う」とおっしゃる先生をこれまた取られそう
でやきもきしていたのでしたが、ある時先生が「何の道具もいらない、人間の体一つでできる歌うと言う
ことは、素晴らしいことなんだ」と言って下さったこともありました。事実、初めての十五島公園での新
歓コンパで、帰りがけに「歌おうか」という先生の号令一つでスッと全員が集まって、大地讃頌と河口を
合唱したときの震えるような感動は、忘れることができません。OB になってからはお酒を飲んだり、懐か
しの豊正公民館の厨房で料理の裏技を教わったりして、先生との個人的な思い出もたくさんできましたが、
それでも音準に気軽に入ることはなぜかできませんでした。 先生…いま、どこにいらっしゃるのでしょうか。その答えは、先生と歌った数々の曲の歌詞の中に見つ
かるでしょうか。先生の声、表情、仕草や髪の色までが、色褪せることなく思い出され…辛いです。 これからも、今までと何ら変わりなく私達の心の中にいて、折に触れて励ましたり、叱ったりしてくだ
さいますよね。 しばらく、掃除機をかけながら思い出の曲を歌う息抜きタイムは、お休みにします。校歌も、無理です。
涙が止まりませんから。もし次の定演までに歌えるようになったら…校歌だけでも久しぶりに乗せて頂こ
うかな、って思います。今年の定演では客席から先生の歌う姿を拝見できて、今となっては悲しいけれど、
良かったと思っています。 私なんかより、もっともっとたくさんの思い出を書き綴ることのできる方がいっぱいいらっしゃるだろ
うにな…とは思いながら、自分なりに振り返らせて頂きました。寄稿の依頼を頂いてからは、思い出が押
し寄せ、涙腺が緩みっぱなしでしたが…でもそこで気付いたのは、単に『先生がいて自分たちがいた』と
いうのではなく、自分たちの横にはいつも先輩・OB がいて、その上に先生の姿があったのだということで
す。そしてこの切ないほどの記憶を、平田先生と後輩たち、時には同期や先輩たちが体現し続けてくれて
いる。こんなありがたいことはありません。 長くなりましたが、みんなが大好きだった山城先生のご冥福を、心からお祈り申し上げます。 初めての道外遠征~全国高等学校総合文化祭 in 名古屋 38期 青山康治 北海道札幌北高等学校合唱部が北海道以外の地で演奏をしたのは恐らくこのときが初めてだったのでは
ないだろうかと思います。昭和 62 年(1987 年)8 月の夏は私にとっても忘れられない夏になりました。 この総文祭は、私が高校 1 年時の石狩地区大会で翌年の全道大会出場校への推薦をいただき、その全道大
会でさらに翌年の全国大会への推薦を掴み取ったもの、つまり 3 年がかりでたどり着いた切符であり、し
かもその最初から最後の演奏まで自分が関わることのできた貴重な学年となりました。 私が合唱部に入った1年のときから、恐らく先生は密かにこの大会を狙っていたのではないかと思いま
す。元々勝負事は大好きな先生で、囲碁、卓球、(卒業後には)酒量、と何をやっても誰も勝てない領域
のものがたくさんありました。当時は卓球の大会で全国大会に出場したとか、そういう話も練習の合間に
随分と聞きました。ちなみに卓球は合宿で一度だけ勝負させていただきましたが、ギリギリ取れるような
球を狙って打ち、いいだけ走らされたあとに厳しい球で仕留める、そういう相手の戦意を喪失させる巧み
な試合運びについに 1 ポイントも取れずに終わったような気がします(二度とやりたくないと思った)。 さて、そんな先生と私たちはいつしか名古屋に行くことが共通の目標となり、高校 2 年の秋、厚生 年金会館での高文連全道大会でその切符を掴みとることができました。その時の先生はと言えば、それほ
ど嬉しそうな顔をするでもなかったのですが、その頃から NHK コンクールも勝てそうで勝てなくなってい
ましたし(結局その後 14 年も勝てませんでしたから)、内心はきっと違っただろうなと思います。当時は
そんなこと考えもしませんでしたが、この年になってやっとその頃の先生の気持ちが少しだけ分かってき
たような気がします。 そして、総文祭で歌う曲は当時私たちの愛唱曲の一つでもあった「北の河」を選びました。これは北高
出身の作曲家、柳田孝義先生の作品で、この曲を持って全国に行くことに大きな意味があるのだと常々
おっしゃられていました。そして、名古屋の地では当時少なかった OB の追っかけ部隊(29 期宮本さん、
31 期平田さん(!)、本番当日は 32 期山崎さんも)とも合流し、名古屋の街を散策したりする時間を持
つこともできました。その時、先生からは「わざわざ来てくれているのだから」と積極的に OB との時間を
作るように言われました。また、この日を迎える 4 ヶ月前に両親の転勤に伴い埼玉に転校した森口さん
(39 期)にも「譜めくり」として参加してもらうよう動いた 2 年生を温かく見守ってくださいました。 そんな先生と一緒にいる時間が楽しくて、定年後も先生の周りにはいつも人が集まっていました。 定期演奏会前の記念写真撮影会も、いつしか本番前の恒例行事となり、すっかりオジサンオバサンとなっ
た私たちを一瞬でやる気にさせてくれました。もう、その写真の輪の中に先生が加わることはありません
が、「カルサバ」「アブラコア」といった先生の楽典はいつまでも私たちの楽譜から消えることはありま
せん。 やはり、私たちはいつまでも先生の教え子です。先生の教え子であったことを本当に幸せに思っていま
す。感謝しています。本当にありがとうございました。 先生、ありがとう。 31期 平田稔夫 定演の開演前、やわらかな緊張感が流れる中、先生を囲んで山城世代のOBが談笑する姿を見ることが、
私が「定演を続けていて良かったなあ」と思う時間でもありました。癌で手術をして声があまり出ないと
おっしゃっていたのは3年くらい前だったでしょうか。今年3月にも元気なご様子でしたので、7月に人
伝に「余命宣告されたらしい」と聞いた時も、37期の吹奏楽部OBでもある笠原先生と「そうは言って
も1年とか3年とか」って話をしていました。それだけに、8月3日朝、その笠原先生からの「亡くなっ
たそうです」というメールは本当に衝撃でした。 彼が北高に転勤してきたのは私が高校2年の春。副部長だった大泉(現斎藤)佐保子さんが中心になっ
て公宅まで押しかけて顧問になってくださいとお願いしたことは忘れられません。先生のデビュー曲とし
て歌った「なぎさ歩めば」も、私の心の中に深く残っています。私が高校を卒業する時に33期を中心に
して「定演をやろう」という話になったのは、部長の川島君、副部長の木下さん、指揮者の広川君など、
強力なメンバーがいたことと、先生自身が33期の担任で、彼らに近い存在であったことなどが影響して
いるのでしょう。360人の教文小ホールが500人以上のお客さんであふれて始まった定期演奏会は、
30年経った現在、合唱部の年間最大の目標として、また、OBとの深い結びつきを持つ北高合唱部の象
徴的存在として、私達にとってなくてはならないものになりました。 平成5年の1月頃でしたでしょうか、当時伊達緑丘高校に勤務していた私は札幌市教委からの依頼で
「札幌のコーラス」という書籍に山城先生を紹介する文章を書きました。「目で語る」「歌い手の歌心を
引き出す」「演奏中に時折見せる涙」「飲み会でOBと語る」というのが私の感じていた先生のキーワー
ドでしたが、これはその後北高に転勤して3年間ご一緒させていただいた時も同じように感じていたこと
です。退職の際にそんな先生の人柄を39期中川君のご尽力でどさんこワイドで紹介していただいたのも
良い思い出です。 先日10月3日の110周年式典。いくつかの演目の中にソプラノ48期陣内(旧姓大熊)麻友美さん、
メゾソプラノ45期岩村悠子さん、ピアノ49期松本望さんという合唱部OG、バイオリン37期吉川美
希子さんによる演奏を企画しました。それぞれご活躍中の4人の素晴らしい演奏をリハーサルで聞きなが
ら、先生に聞いていただきたかったという思いがこみ上げてきて思わず涙が出てきてしまいました。 多くを語らない先生でしたが、先生が20年にわたって育ててきた合唱部を微力ながら支える立場でい
られることの幸せを感じながら、また3月の定演に向けて生徒達と音楽していこうと思います。先生はこ
れからも定演の日には Kitara に来て私達が歌う姿を見守ってくれると思います。私もこれからも定演の舞
台に立ち続けることで、先生に毎年お会いしていきたいと思います。どうか安らかにお眠り下さい。 最後に、青山さんから山城先生追悼演奏会の案内があります。 追悼演奏会に参加のご案内 2008 年 12 月 30 日、山城先生の退職 10 周年記念演奏会を開催しましたが、あれから 4 年近くが経ちまし
た。思えば、その後ほどなくして病気を患われていましたから、あれが山城先生をステージに「引っ張り
出す」最後のタイミングだったような気がします。 そして、その当時、先生を引っ張り出した中心メンバーであった吹奏楽部の OB から思わぬ形で再び演奏
会のお誘いをいただきました。お誘いをいただいたものの、正直思い悩む日々が続きました。しかし、合
唱部を、吹奏楽部を、そしてそれぞれの OB 会を暖かく育ててくださった先生を、こうした形で集い、送り
出すことも自分の一つの務めなのではないか、という気持ちを持つに至り、このお誘いをお引き受けする
ことにいたしました。 詳細については、一部まだ決まっていませんが、吹奏楽との合同演奏の他に合唱部 OB の単独演奏として
「赤とんぼ」「落葉松」の 2 曲を演奏いたします。 日時:2012 年 12 月 29 日 ( 土 ) 13 時 30 分 開 場 、 14 時 開 演 ( 15 時 30 分 頃 終 演 予 定 ) 会場:札 幌 サ ン プ ラ ザ ホ ー ル (北 24 条西 5 丁目) 入場料:無料(別途、献花料を受け付けます(任意です)) 曲目:第一部:単独演奏として「赤とんぼ」「落葉松」(第 18 回定演のアンコールと同じです) 指揮:31 期平田稔夫さん ピアノ:37 期長谷部(旧姓:森本)祥子さん 第二部:吹奏楽との合同で「アメージンググレイス」「威風堂々」 参加料:1 人 6,000 円 ※ 当日は午前中に集合し、ステージリハ、本番となります(集合時間未定) ※ 前日までに練習をするかどうかは、未定です 当日出演することを希望される方は(実際に出られるかどうか分からないが、当日出られるよう だったら出たい、という方も含めて)、人数の把握と楽譜等をお送りする都合上、お手数ですが青 山([email protected][email protected]す。人数等の把握のた め、できれば、10 月末日までに連絡をいただけると助かります(それを過ぎても随時参加は承りま す。当日飛び入りも可能です)。 年末の慌しい中の開催となりますが、ぜひ一緒に先生のことを思い出し、歌い、懐かしむ場として いただければ幸いです。 こ こ か ら は 事 務 連 絡 で す 。 ♪2ステ練について 第2回2ステ練の日程が決まりました。 11月4日(日) 18:00~21:00 @彩風館 時間のある方もない方もぜひ参加ください! また、曲目が決定致しましたので、以前流れたメーリングリストを転載したいと思います。 第 32 回定演 2 ステ指揮者 牛来博哉@60期 こんにちは。今年度 2 ステ指揮者の 60 期牛来博哉(ごらいひろや)と申します。 大変遅くなりましたが、
2 ステの曲目が決まりましたので連絡いたします。 髙田三郎作曲 水汲み(「心象スケッチ」より) / 冬・風蓮湖 /海よ(「水のいのち」より) の3曲です。「水汲み」は平成 15 年(2003 年)の全日本の課題曲、「冬・風蓮湖」は昭和 54 年
(1979 年)と昭和 63 年(1988 年)の N コン課題曲でした。山城先生が顧問になられて初めての N コン課
題曲だったとのことです。また「海よ」は 2010 年度に高文連の合同演奏曲となっていました。 これらの曲を一度は歌ったことのある方が多いと思いますので、ぜひ練習にいらしてください!お待ち
しています! ♪OB 会費について OB 会費は 2000 円です。会計の東原歩美さん@62期に直接渡していただくか、または郵便局の口
座に振込んで下さい。OB 会の運営にとても大切なものですので、納入忘れのないようによろしくお願い
します。また、昨年度以前の会費や定演ノルマ等に未納分がある場合にも同様にしてください。 過去 5 年以上会費を滞納されている方の滞納分は一括で1万円となりました。該当する方が会費を納入
される場合、滞納分+今年度分で1万2千円となります。 郵便局口座番号:19000-52318131 札幌北高校合唱部 OB 会 ♪会報発送&住所変更について Web上での閲覧を希望し、郵送はいらないという方はパソコンのメールアドレスを [email protected] [email protected]記してください。住所・電
話番号・職業などに変更のある方は、お手数ですが OB 会長、青山さん([email protected])にお知
らせ下さい。 ♪HiPiKiメーリングリストについて 第一号にも記載しましたが、もう一度記載してほしいとの問い合わせを多数いただきました。 「HiPiKi」は藤田日高さん@41期が管理されているメーリングリストです。たくさんの方にO
Bの交流の場として利用されています。ぜひご登録ください! [email protected] または [email protected] までメールでご連絡ください。
管理人の藤田さんが親切にガイドしてくれます。費用等は一切かかりません。 お気軽にどうぞ! ♪編集後記 約3か月振りとなりました。ひびき編集後藤龍一郎@61期です。皆様いかがお過ごしでしょうか? 札幌は何日か前は暑い日が続いていたのに、ここ最近めっきり寒くなり衣替えシーズンになってしま
いました。体調を崩してしまった方も多いのでは・・・。 先日10月3日に札幌北高校110周年記念式典がありましたが、ここからまた120周年に向けO
B・OG一同元気で北高と北高合唱部を支えていきましょう!