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Title
諫早南部地域における農業の変容 : 諫早市有喜地区と北高来郡飯盛
町の地誌学的考察
Author(s)
竹内, 清文; 重, 正宏; 中村, 美和
Citation
長崎大学教育学部社会科学論叢, 36, pp.1-12; 1987
Issue Date
1986-11-30
URL
http://hdl.handle.net/10069/33564
Right
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1
諫早南部地域における農業の変容
―諫早市有喜地区北高来郡飯盛町の地誌学的考察―
竹内 清文(1)・重
正宏(2)・中村 美和(3)
1.はじめに
2.諌早市南部地区の概観
3.農家と農業人減の変化
4.農業経営の変化
5.主要農産物とその変化
6.展望一一一結びにかえて一
1.はじめに
今日の農業は,農産物需給の不均衡,価格の伸び悩みなどによる農業所得の低迷,農業
就業者の高齢化,さらには海外からの農産物の市場開放要求など,その環境は極めて厳し
い。農業の母体である農村は,国民に安定した食糧を供給する食糧生産の場であるばかり
でなく,地域社会の基盤をなすものであり,安定した農業経営と,農村の生活環境の整備
が課題となっている。かかる情勢のなか,農林水産省は長期的展望に立った国民食糧の安
定的供給の確保と,食糧の自給力の向上をはかるため,水田利用再編成対策をはじめ,様々
な諸政策を推進中である。
諌早南部地域においても,国の農政方針に添って,地域に密着した農業が推進されてい
る。本地域は橘湾に望み,丘陵地と,西部にならぶ小火山群,そして丘陵を縫う小河川と
それに添った盆地状の低地からなる。従って,農耕地は低地の水田と丘陵の畑地と樹園地
からなり,とくにしょうが,にんじん,ばれいしょは国の生産指定を受け,主幹作物となっ
ている。一方,本域の北側にひろがる諌早平野は,有明海の支湾の諫早湾に面した干拓地
で,長崎県下最大の水田地帯を形成し,本域と好対照をみせている。諌早平野については,
干拓の歴史1),干拓地の農業2・3)など,多くの研究が発表されているが,橘湾に面した諌早南
部地域については古くから知られた特産品のしょうが,にんじんがありながら,これまで
研究の場として,取り上げられなかった。そこで,本域の農業の実態と,その変容につい
て明らかにしたい。ただ,残念なことに,長崎市東部の戸石地区と,本田の西側に接する
う き
北高来郡森山町の南部については,同じ基準の資料を入手できず,諫早市有喜地区と北高
来郡飯盛町に限定せざるをえなかった。
(1)長崎大学教育学部 (2>大村市立三城小学校 (3)長崎市立古賀小学校
2
諌早南部地域における農業の変容(竹内・重・中村)
2.諌早南部地区の概観
本域は橘湾に臨む100m前後の丘陵地帯で,輝石安山岩,第三紀層の砂岩からなり,土壌
\小∼
ユ
諌 栗
ロトサ ノロ
麟iき蔓《,
、町
し 平織・轟.幌 0 1km
左田
@ 上原 ボ
一
湾
町川
後田 橘
船津。
電。
第1図地域概観図
は砂壌土である。気候は温暖で,無霜期間が248日(飯盛町)である。交通は橘湾にそっ
て,長崎と島原半島をつなぐ国道251号線が走り,長崎,諌早両市の都心へは,1時間足ら
ずで行くことができ,両市の接点にあたる位置を占める。
世帯数および人口は,昭和60年の国勢調査によると,有喜地区が1,393世帯,5,639人,
飯盛町が2,072世帯,8,310人で,共に最近における変化はあまりみられない。就業人口の
構成比の推移は,第2図に示すとおりで,飯盛町の西に接する長崎市東長崎町戸石地区に
■農 業 回林業・漁業因第二次産業日第三次産業
0
昭和45年
80 10〔瑞 0 20 40 60 80 100%
20 40 60
,、
203
39 6
10
30 0
工
9.8 123 7.8
50.2
3
50年
19.0 13
30.9
0.
406
37
8.6 ユラ.3
3。5
…
1
5
1
55年
255
16
’
5・ 150
有 喜 地 区
430
35.1 11.517.8
39.0
飯 盛 町
第2図 産業別就業人口の構成比(国勢調査)
は,2,091戸(計画)の矢上団地をはじめ,宅地造成が進み,都市化の傾向は今後も強まる
と予想される。北高来郡に属した旧有喜村など旧6村と旧諌早町が合併して,昭和15年市
制を施行した現在の諌早市は,工業団地を貝津地区に造成し,昭和55年の分譲開始以来,
IC製造のフェアチャイルド社など,順調に企業誘致が進む一方,国道34号線沿いには自
動車販売,郊外型レストランなど商工業関連の事業所が多く進出し,第2・3次産業の急
3
長崎大学教育学三社会科学論叢 第36号
速な発展がみられる。そして諫早市南部に位置する有喜地区にも,この影響が及び,農業
と漁業を主幹産業とする産業就業構造に,大きな変化をもたらしている。現在でも第1次
産業への依存度は依然として大きいが,今後は第2次,第3次産業の増加が見込まれる。
一方,飯盛町は一部においては,長崎市,諫早市のベッドタウンとしての様相もみられる
が,露地野菜を中心とした農業と橘湾に面した江の浦,池下両漁港を根拠地として展開さ
れている刺網,小型底引網,一本釣り,などの漁業を主産業とする地域で,今後もしばら
くは第1次産業を基軸とした振興が進むものと思われる。
3.農家と農業人ロの変化
諌早南部地域の総農家数は昭和60年農業センサスによると,有喜地区が371戸,飯盛町が
745戸,45年と60年とを比較すると,有喜地区が250戸,40.3%,飯盛町が504戸,40.4%の
減少となっている。農家数の減少は,全国的な現象であり,本域も例外ではない。
次に,専兼業別農家数の推移をみると,長崎,諌早両市の接点にあり,交通の便に恵ま
れていることから,他産業に農業労働力が流出し,農外所得の依存度を高めて,飯盛町で
は第2種兼業農家率の増加が続いたが,その増加率は55年あたりから小さくなっている。
一方,有喜地区では減少傾向をみせる。また,注目されるのは,専業農家率の増加である。
50年ごろまでは,専業農家は減少の一途をたどっていたが,この減少に歯止めがかかり,
55年,60年では,構成比において,2地区ともわずかながら増加している。将来は専業農一
家率がさらに伸びていくものと思われる。
。 、。 4。 6。 8。1幅。 、。輪業『轡業整種濫
,ま6
昭和45年
193
306
50年
87
361
55年
190
60年
253
324
30 7
50
1
23.1
45 2
21.9
30
P
48 7
255
24
q
43.
9
26.8
41・3
23.6
48.1
49.ま
4950
有 喜 地 区 飯 盛 町
第3図地区別専業・兼業別農家率の変化
(農業センサス)
農家人口も農家数の減少と共に,減少の傾向にある。45年から60年までの15年間に,9,479
人から5,026人へ,4,453人,47.0%の減少となっている。農業就業人ロは,この15年間に,
3,592人から1,925人へ,1,667人,46.4%の減少を示す。では,その質的変化はどのような
傾向にあるのだろうか。年齢別農業就業人口の構成比の推移を見てみると,若年層と高齢
層の減少が注目される。地方の時代と呼ばれ,都会指向から地方指向へ移行しつつある最
近の風潮において,若者のUターン現象は確かに増えつつある。しかし老齢化が著しく進
行していることも,紛れも無い事実であり,高齢化社会が着実に到来していることを物語っ
ている。そして農業就業人口の減少は,若齢層の大幅な減少によるところが大きく,兼業
農家における若齢層は,他産業に流出し,農業就業人口は,今後も高齢化を続けることが
予想される。さらに,男女の割合に注目すると,有喜地区では30代で,男18人,女39人,
4
諌早南部地域における農業の変容(竹内・重・中村)
40代で,男34人,女74人であるのに対し,飯盛町では,20代で63人:36人,30代で,65人:
74人,40代で,74人:142人目なっており,働き盛りの男性が農業以外の仕事に就いて,農
業は女性と60代以上の高齢者によって営まれ,いわゆる「三ちゃん農業」の姿が読み取れ
るが,飯盛町では20代,30代,の年齢層に,積
■自営砦のみ園自墾業主図1『他が土緊の鱒ナ凝仕事せず聯極的に農業に取り組む兆しがみえることは注目
l l
潤D7i i
すべきことである。
有喜地区
16.4 43.21
22.
17.1・
若者の他産業への流出と高齢化は,後継者の
l i
不足という問題が予想される。このことをあと
21
飯残町 つぎ予定者の就業状態(第4図)でみると,あ
18
とつぎ予定者のなかにあっても,その他の職業
24.2 41.4 ▼ ,
・11.5
第4図あとつぎ予定者の就業状態別従事者構成比だけに従事した人が両地区とも全体の約5分の
(昭和60年農業センサス)
1をしめている。一方,“自家農業だけに従事し
た人”に,“自家農業に主に従事した人”をあわせた割合は,有喜地区で17.1%,飯盛町で
26%となっており,とくに諌早市南部の有喜地区において,後継者難を実感できる。
4.農業経営の変化
諌早南部地域の昭和60年の経営耕地面積の割合は,橘湾沿いの丘陵地帯で,平地が少な
く,第5図に示すように畑が60%以上を占めて,古くからの露地野菜の産地となってきた。
ha
500
■田
翅畑
飯\
\
\
囲樹園
\\田
、 \
300
\
\
400
\
飯
畑
有喜地区
第5図
飯盛町
200
地区別耕地面積と地目別構成比
有\
\\
\、、、
昭和60年農業センサス
、、\
経営耕地面積は,農家数:と同様年々減少している。田は生 100
産調整に伴う耕作放棄,宅地造成,道路・河川工事による
駄一一、軸勉
潰廃,田畑転換などの理由で,昭和45年と60年との比較に
おいて,145ha,35.6%の減少と,高い率を示す。畑は,田 o
有一一一一一㍉、 \\
と同様,減少傾向にあるが,減少率は29。2%で,これらの
45 50 55 60年
地域における畑作への依存度の高さを表している。面積的
第6図 地目別経営耕作面積の推移
(農業センサス)
には小さい樹園地は55ha,63.2%の減少で,最も大きな減
少率を示す。樹園地の大部分はみかんであるが,全国的なみかんの生産過剰のため,減産
が強いられ,普通畑に転換せざるをえなくなっている。
経営耕地面積規模別農家数の構成比(第7図)をみると,1.Oha未満の小規模農業が,有
5
長崎大学教育学部社会科学論叢 第36号
■∼0.5ha ZO 5∼1 0haI到1 0∼2.Oha国2,0ha∼
喜地区では全体の8割以上を占めて,微増傾
向にある。農業が基幹産業の飯盛町では,
0
20 40 60 80 1(X〕%
昭和45年
1.0∼2.Ohaの中規模農家が半数を占める。次
50年
に集落別に経営規模別農家数をみると,1.5
ha以上の農家数が,全体の2割をこえる集落
55年
は,後田,山口,開,上原で,とくに上原は
60年
1.5ha以上の中規模農家が60%をしめ,2.Oha
4.0
飯 盛 町
以上の農家が18戸もある。また,1戸当りの
0
20
40
60
80 1(脇
経営耕地面積と専業農家率を集落別に図示す
ると,第8図のようになり,1haをこえる山
口,開,上原では専業農家率も高く,それぞ
れ47%,38%,49%を示している。逆に,海
岸部の下釜,漁業集落の船津の両集落の経営
耕地面積は50aを下まわり,専業農家率は下
有 喜 地 区
釜で6%,船津で0%である。これらのこと
第7図 経営耕地面積規模別農家数の推移
(農業センサス)
から,経営耕地面積が大きい集落ほど,専業
農家率も高いことが理解できる。
最近の農業政策の一環として,農用地の有効利用を図るため,零細農家の農地を中核農
家へ集積して,経営規模の拡大を図る計画が推進されている。この政策を反映して,2.Oha
以上の大規模農家は,構成比において,55年まではわずかながらも増加していたが,60年
%
50
2.Oha
妻
40
農家率
30
1.Oha
20
平均耕地
10
一[1
0
後田
難
茎
灸
笛
番康
岩
開
盧
瘍
幸
雫
畢漿
場
第8図 飯盛町の集落別平均耕地面積と専業農家率(昭和55年農業センサス)
0
6
諫早南部地域における農業の変容(竹内・重・中村)
台
1200
動力耕うん機 農用トラクター
には減少している。農家は先祖から受け継いだ土地を
手放すことに強い抵抗があるため,農用地の集積利用
1100
が円滑に進展するのは難しい。
農家の兼業化,高齢化の進行には,農用機械による
1000
農作業の省力化が大きな役割を果たしている。諌早南
900
800
700
600
飯
盛
町一一一一㌔
減少と共に,現在は台数:が減少傾向にある。その他の
個人所有農家円
300
農用機械の普及の伸び率は,目覚ましい。大部分が畑
作地帯である諌早南部地域は,諌早北部の水田地帯と
500
400
部地域における農用機械の普及台数は第9図に示す通
りである。耕うん機はすでに普及しており,農家数の
蓋∠:こく
比較すると,機械化の進展は遅れたが,現在の普及率
区
性と高齢者が農作業の中心となり,働き盛りの男性は,
45 50 55 60年
第9図 農用機械の普及状況の推移
(農業センサス)
は著しい。農業就業人口が減少の一途をたどって,女
他産業へ流出するようになったことは,農用機械の普
及が農業生産構造に多大の変革をもたらしたという一
つの側面を表している。しかし機械化に伴う農家の投
資が農家経済を圧迫し,俗に言う「機械化貧乏」を招いていることも事実である。
5.主要農産物とその変化
a)米
たゆい
本域には,江の浦川,田結川など数河川が南流して橘湾へ流出するが,極めて小さい河
川ばかりで,最大の江の浦川でさえ,本流延長が6㎞たらずである。従って,河川沿岸の
低地も狭く,水田面積は両地区合わせて263haにすぎず,わずかに,江戸時代に干拓された
江の浦川下流の開新田の170haの水田が最も広くまと
まったものである。
ha
300
飯盛
かかる地域において,米が昭和40年代までは,主要
農作物で,とくに,飯盛町においては,粗生産額にお
250
いて1位をしめ,最も重要な作物であった。しかし水
田利用再編対策や,住宅団地造成のために,水稲作付
200
面積は減少し,現在は豚にんじん,ばれいしょにつ
いで,4位に止まっている。飯盛町の稲作地帯の分布
150
をみると,後田,山口,開,上原,古場の各集落で多
く栽培され,収穫面積で,本町全体の5分の3以上,
100
130haをしめる。また,最近の飯盛町の水田面積の減少
率は際立って大きく,長崎県下の平均が20%であるの
に対して,43%という大きな減少率となっている。こ
有へ\_
50
こでも転作作物の安定的定着が課題となり,現在はば
れいしょ,キャベツ,カリフラワー,なす,メロンの
栽培が推進されている。
0
45 50 55 60 年
第10図 米の作付面積の推移
(農業センサス)
7
長崎大学教育学部社会科学論叢 第36号
b)ばれいしょ
ばれいしょは,生産性の低い,あるいは低くなった麦,かんしょ,しょうがに代って,
近年生産量が伸びてきた作物で,飯盛町の60年の収穫面積が242ha,有喜地区が68haであ
作型 月
1
2 3 4 5 6 7 8 9
10
11
工2
_一 ___」㌧ 、
春 作
え付け
_ _』㌧ 、
秋 作
収穫
一 一
@貯蔵 _ !
一 一
@ 一一レ
植え付け
収穫
一 一
一 一
’一一補一一
ク慰
一 一 一
[email protected] @一 一
⇒栽培期間 〔二‡♪貯蔵できる期間
第11図 ばれいしょ露地栽培ごよみ4)
る。本域で生産されるばれいしょは栽培時期(第11図)によって,2種類に分けられる。
一つは春植えばれいしょで,もう一つは秋植えばれいしょである。収穫i時期が他の産地よ
り早い春植えばれいしょの方が,作
付面積において,秋植えばれいしょ
飯盛
より多く,およそ3:1の比率と
なっている。
200
長崎県産のばれいしょは春と秋の
気候が温和で,海岸地帯では,潮風
の影響を受けて虫害の発生を抑え,
150
また,降霜を見ることも少なく,暖
地ばれいしょの栽培適地が多い。さ
らに,暖地栽培に向く新品種が育成
100
されたことによっても,長崎県のば
れいしょ生産は急速な発展をみ,現
50
在では,北海道に次ぐ日本第2位の
生産量をあげ,とくに島原半島一帯
が主産地となっている。島原半島に
0
45 50 55 60年
第12図 ばれいしょ作付面積の推移
(農業センサス)
隣接する本域も重要な産地であり,
国の指定作物になっている。指定さ
れた地域では,定められた面積に栽
培すれば,市場での価格が基準価格より安いとき,補助金を受けられる仕組みとなってい
る。
本域のなかで,飯盛町のばれいしょの生産は,とくに重要性を持ち,昭和58年の粗生産
額において,豚にんじんに次いで第三位を占める。昭和58年の飯盛町のばれいしょの作
付け面積は,春植えぼれいし「よが200ha,秋植えばれいしょが44haで,前者が圧倒的に多
い。また地域分布を見ると,後田集落が最も多く,盛期を合わせた作付面積は,約70haを
しめ,次いで上原,開,山口の各集落が続く。最近古い産地では,連作障害が問題となっ
ており,本町の収穫面積は過去10年間に22haの減少をみている。
c)にんじん
長崎市東部の矢上地区で,江戸時代に始まったにんじん栽培は,品種の改良とあいまつ
8
諫早南部地域における農業の変容(竹内・重・中村)
て,盛んになり,現在,長崎県は九州地方で最大の生産地となり,「長崎にんじん」として
の銘柄が確立している。飯盛町および有喜地区は,県内有数のにんじんの産地で,現在で
は,飯盛町だけで,県全体の生産量の4分の1,有喜地区も合わせると,県の3分の1を
1
月
2
3
4
5
6
8
9
10
11
12
播種
収穫
にんじん
7
第13図 にんじん栽培ごよみ
占める。飯盛町は,牧野台地を中心に,にんじん栽培に適した土地として知られる。昭和
43年には,国の野菜産地(冬にんじん)の指定を受け,その後順調に生産は増加し,県内
では,大村,諌早を抜いて1位となっている。
にんじんの栽培(第13図)は,秋植えばれいしょと組合せて経営を行っている農家が多
い。また,飯盛町のばれいしょ栽培地は広範囲に広がっているのに対して,にんじんの栽
培地は,第14図のように限定されている。比較的規模の大きい山口,開,上原,後田の各
集落で作付けされているが,他の集落ではほとんど見られない。これは土質の違いによる
もので,にんじんは土の中に空気が多く含まれ,排水が良い火山灰土壌での栽培が適して
いる。飯盛町は作付面積,収穫i量ともに,52年以来県内トップの座を維持しており,飯盛
町の野菜部門の粗生産額の61%を占め,豚に次ぐ重要な農産物となっている。そして50年
から55年までの5年間における伸びは著しく,作付面積が2倍となったが,その後,春植
えばれいしょへの転換や連作障害などのために,増加率は小さくなっている。
にんじんは互いの葉が触れ合う状態の方が生育は良いので,間引きの時期に注意しなけ
L・1石原
●
● 壽.
古場1一一l
l一一一、
一一一「
’
r一寺平
●
」一一「
◎ 一一1
田平
「一 ●
川下
●
1ha 10ha
40ha
第14図 飯盛町のにんじんの収穫面積(昭和55年農業センサス)
80ha
9
長崎大学教育学部社会科学論叢 第36号
ればならない。本葉1∼2枚,本葉3∼4枚,本
葉5∼6枚の各時期の合計3回の間引き作業が必
ha
200
要となる。間引き作業は機械化が難しいため,手
作業で行われるので,特に間引き作業における労
飯盛
150
力不足が問題となる。また,収穫作業も手作業で
行うため,にんじんの生産費のなかに占める労働
費の割合は58%となり,米の44%,ばれいしょの
100
42%と比較すると,大きな開きがある。今後もに
有喜
んじんの生産量は伸びると思われるが,その為に
は,機械の導入による省力化をはかる必要があり,
50
またその為には,耕地をまとめて,圃場整備を行
い,深耕の推進,有機物の投入により,品質と生
産力の向上に努める必要がある。
0
45 50 55 60年
第15図 にんじん耕付面積の推移
(農業センサス)
d)しょうが,
長崎県におけるしょうが栽培の歴史は古く,天保年間に中国より小しょうがが導入され
たのに始まる,といわれる。さらに,明治30年頃台湾より大しょうがが導入され,以後,
大しょうがの産地として良質の種子しょうがの供給地となった。大正時代に入り,県下で
も飯盛町田結地区,長崎市戸石地区に多く栽培されていたが,その他の地区には,自家消
費程度を栽培していたにすぎなかった。そのころは,香辛料としての需要は少なかった。
昭和22年ごろより,県内各地に栽培熱が高まり,島原半島の西南部でも,産地が形成さ
れるに至った。これらの主要産地は共通して,海岸線近くにあり,気候は温和で,年平均
気温16∼16.5℃,そして無霜期間が長く,従って,生育期間の長いことが収量をあげる一
つの要因となっている。そして日本の食生活の需要構造の変化により,しょうがは香辛料
として,また生食,漬物,薬用,その他,菓子などに使用され,食生活の向上と共に,需
要が急速に伸び,価格の高値安定ムードにのって,
ha
150
飯盛町
作付面積も急速に拡大した。
飯盛町では,安山岩質の重粘土という土質と,
秋の好天に恵まれて,着実に収穫量は増加し,隣
100
接の長崎市戸石地区でも,「戸石といえぼ,しょう
が」といわれるくらいに有名となっていた。そし
て飯盛町では,畑地灌がいを行い,生産安定に効
50
^』一\
有喜
0
45 50 55 60年
忌 第16図 しょうが作付面積の推移
(農業センサス)
果を上げると共に,貯蔵は温度,湿度ともに適応
した横穴を利用し,品質保持に役立てられている。
しかし昭和47年の135haをピークに,作付面積は
減少傾向にある。とくに,50年から60年までの10
年間で半分以下に激減したが,とりわけ飯盛町の
減少が目を引く。
この原因として,栽培地域を拡大せずに,作付面積を増加させたため,必然的に連作が
10
諫早南部地域における農業の変容(竹内・重・中村)
年度
47
48
49
50
51
52
単価
87
103
96
136
451
367
行われるようになり,その結果,生産力の低
下を招き,それをカバーするために,極端な
(円/㎏)
表 しょうがの価格変動
多肥栽培になり,かえって土壌の老化を進め
た。さらに土壌病害である根茎腐敗病の発生
が急増し,防除の甲斐も無く,生産農家は減
産を強いられた。また,
しょうがは気象条件に左右されやすい作物であるために,表にみ
られるように,価格の年変動が大きく,安定性が無い。さらに近年,台湾産の安いしょう
がが輸入されるようになったため,しょうがの価格低迷が続き,しょうが栽培に対する情
熱は薄れ,見切りをつけて生産価値の高いばれいしょや,にんじんに転作する農家が増え,
生産の回復は望めない状況にある。
e)豚
豚の飼育頭数は,飯盛町で増加傾向,有喜地区では横ばい傾向にあるが,飼養戸数は両
地区ともに減少している。経営の安定を求めて,小規
模農家が飼養を中止し,大規模農家が規模拡大を図っ
頭数
10.000
頭数
ているため,1戸当りの飼養頭数は増加している。こ
の規模拡大の動きは,昭和50年代半ばに,飼料価格の
8.000
飯野
上昇と,販売価格の軟調によって,収益性が低下した
戸数
、、、
ことも大きな原因と考えられる。飯盛町では,昭和55
6.000
300
、
年には子取り用の雌豚1,212頭,肥育豚9,128頭を数え,
豚が農業粗生産額(15億9,100万円・昭和58年度)の半
碍 \戸数
4,000
位にある。県内でも西海町,有明町,諌早市に次いで,
飯盛\、 、
200
、 、
分をしめ,米に代わって,50年から,粗生産額の第1
、』 、
、、 、
、、 、
2。000
有喜
\㌧
100
4番目に位置する。
飯盛町の飼育農家は,全域に分散し,飼育形態につ
いても地域的特徴はみられない。また昭和48年以降,
小規模な町頭飼育の農家が減少し,一貫経営による多
0
45 50 55 60年
第17図 豚の飼養戸数と頭数の推移
(農業センサス)
頭飼育の農家が増加してきた。
この多頭化に伴って,表面化したのが公害の問題である。
今後,豚舎を可能なかぎり,住宅の少ない地区に移転すると共に,し尿処理施設の設置を
推進し,無畜農家に有機質肥料の供給を図って,耕地還元を促進する必要がある。なお,
57年の長崎大水害による被害が,飼養頭数の減少につながっており,耕地は水害後3年を
経て,ほぼ復旧したが,畜産農家の多くは未回復の状態にある。一日も早い復興が望まれ
る。
6.展望一結びにかえて一
諌早南部地域の農業を,農家,経営,農産物という角度から考察してきた。兼業農家の
増大,壮年層労働力の都市への流出,農業後継者の減少,零細規模農家の増大などの悪条
件の上に,この地域の主要作目であった米の生産調整,みかんの生産過剰による価格低迷,
そして長崎大水害という大きな試練も受けた。このような諌早南部地域一帯における共通
点と共に,諌早市有喜地区,飯盛町の各地区の特色ならびに相違点も明らかになった。そこ
で,本域における共通の問題をふまえながら,地区ごとに,今後の展望と対策について述
11
長崎大学教育学部社会科学論叢 第36号
べたい。
○有喜地区
有喜地区は諌早市に属しており,将来は都市化が進行していくと思われる。しかし,現
在は農村的な要素がつよい。
本地区の基幹作目は,にんじん,ばれいしょ,しょうがであるが,連作障害などで,収
量,品質ともに低下傾向にある。とくにしょうがは壊滅的被害をうけており,無病種子の
確保,土壌消毒の徹底は緊急を要する。また地力の増強も大きな課題となっているが,57
年に農協事業として,堆肥センターが設置された。これは牛馬の糞に,様々な処理を施し,
野菜農家に肥料として流通させる施設である。野菜の栽培には,化学肥料だけでなく,堆
肥が必要であるため,畜産環境の整備と糞尿の還元を進めながら,この方法によって,計
画的,組織的な利用を推進できる。また,今後,振興が計画されているものとして,いん
げん,かんしょ,スイートコーン,いちご,カリフラワーがあげられており,これらの新
作目の定着をはかり,団地化を目指す必要があると思われる。
○飯盛町
飯盛町は農業を主幹産業とする町である。丘陵台地の上には,畑地が広がり,その面積
は,全耕地面積の6割以上を占める。国の指定作物であるばれいしょ,にんじん,そして
特産のしょうがなどを中心とした畑作中心の経営が行われている。
これらの主幹作物は,連作障害のため,収量,品質ともに低下し,その主幹作物を維持
するためには,新規作物の導入を含めた輪作体系の確立が必要になってくるが,56年から,
早掘りかんしょ,カリフラワーが導入され定着しつつある。
町内各地区で圃場整備が行われており,また,水田利用再編対策に伴う田畑転換事業が,
佐田地区を中心に進められ,さらに,基盤整備地区として,東部地区に畑地灌がい施設80
haも完備された。これを利用するバラエティに富んだ施設野菜,軟弱野菜の導入が期待さ
れる。既に県の新産地育成総合対策事業により,後継者を中心に,なす,メロン,抑制い
んげんの施設団地の建設が進んでいる。また,きく,カーネーションを中心とした花き園
芸も,13年前から生産条件を整備して,産地確立をはかっている。
これらの畑作物に加えて,畜産は飯盛町の農業粗生産額の5割を占め,本町における農
業の重要な柱となっている。養豚は畜産環境の整備と糞尿の耕地還元を進めながら,多頭
飼育による大型化を進めることによって,より一層の発展が期待される。
農業後継者の不足は,現在の農業の直面する大きな問題であるが,本域は比較的恵まれ
ているといえる。先に述べた施設団地は,後継者を中心に建設されたものであり,畜産や
花き園芸における後継者の活躍は目覚ましい。
とくに飯盛町は,長崎市,諌早市と隣接しているという地の利をいかし,都市近郊野菜
産地としての育成が今後の大きな課題になるだろう。農家の高齢化,そして専業農家と第
2種兼業農家の両極化が進み,農家数も減少していくものと思われるが,意向調査による
と,中核農家の野菜,畜産に対する規模拡大の意欲は強い。地域農政のキャッチフレーズ
「土のかおりと人々の調和のとれた町づくり」をめざし,農業の振興と環境の整備を図り
ながら,総合的な町づくりの推進が望まれる。
12
諌早南部地域における農業の変容(竹内・重・中村)
謝 辞
本研究を進めるに当っては,とくに諌早市役所経済部,諌早農協,飯盛町役場経済課など,多くの方々
のご援助を受けた。ここに記して,深く感謝の意を表したい。
注
1)諌早市史 第2巻(1955)
2)竹内清文(1956):諫早市干拓地における農業集落の発達について 長崎大学学芸学部 社会科学論
叢6
3) (1971):諌早干拓地入植者の農業経営とその特色 長崎大学教育学部 社会科学論叢20
4)長崎県教育委員会(1983):わたしたちの郷土産業 p.27長崎県教育委員会
参考文献
新長崎風土記刊行会(1981):新長崎風土記 長崎県の歴史と風土 創土社
長崎新聞社(1984):長崎県大百科事典 長崎新聞社
日本地誌研究所(1976):日本地誌 第20巻 佐賀県・長崎県・熊本県 二宮書店